関塾

2006年5月号vol.346

今月のタイムス
MONTHLY SPECIAL

1. 今年の中学受験をふりかえる
2. 中高入試問題にチャレンジ
21世紀を生きる君たちへ
石川県 谷本 正憲知事に聞く
私の勉学時代
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QUIZ WORLD クイズワールド

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特別企画 21世紀を生きる君達へ
石川県 谷本 正憲知事に聞く
勉強も大事ですが、人との出会いも大切。そして勉強以外のこともいろいろ体験してください。体験は人をたくましく育てます。
日本列島のちょうど真ん中にあり、人口も面積も日本全体の約1%という石川県。加賀百万石といわれる江戸時代に培われた質の高い伝統文化を連綿と受け継ぎ、輪島塗や山中漆器、九谷焼、加賀友禅などの伝統工芸や、能楽や邦楽、舞踊などの伝統芸能といった、世界に誇れる文化資産を大切に継承しています。谷本知事はこれらの文化資産に磨きをかけ、国内外に発信したいと考えています。今回は、そんな谷本知事に小学生から大学、そして現在に至るまでの出会いと体験を語っていただきました。

■Profile
谷本 正憲(たにもと・まさのり)

1945年兵庫県西脇市出身。68年京都大学法学部卒業後、自治省入省。75年島根県総務部財政課長、82年宮崎市助役、86年茨城県環境局長、88年茨城県総務部長、90年自治省行政局公務員部公務員第二課長、自治省財政局交付税課長、91年自治省財政局公営企業第一課長を経て石川県副知事就任。94年石川県副知事辞職後、石川県知事就任、現在四期目。


放課後に読み聞かせを

 私は兵庫県の西脇市で生まれ、西脇小学校から西脇中学校、そして西脇高等学校へと進み卒業するまで西脇市で過ごしました。小学校の六年間は昭和二十年代の後半から三十年代の初めまでですが、六年まで給食がなく、六年生の三学期になってやっと始まりました。でも中学校では給食がなかったので結局は給食の経験はたった一学期間でした。小学生時代、もちろん勉強は一生懸命やりましたが、振り返って強烈に覚えているのは、新しく赴任してきた先生が放課後に読み聞かせをやってくださったことです。冒険小説みたいな本だったのですが、生徒は皆そのストーリーに引き込まれました。でも、物語がいいところまで来ると「はい、続きは明日ね」という。私たちは「続きはどうなるのだろう」と毎日ワクワクしていました。先生は若く恐らく正規の授業以外に何かをやらなければと意欲に燃えていらっしゃったのでしょう。小説にはワクワクするような想像の世界がある。きっと子供たちの夢も広がるのではないかと考えられたのではないでしょうか?
その先生とは今でもおつきあいがあり、帰省すると私は先生のところに寄ります。今は第一線を退いて悠々自適で畑仕事などをしていらっしゃいますが、今でも私は頭が上がりません。「先生お元気ですか」「谷本君よく来たな、知事になったか。良かった」というようなやり取りですが、私は先生の前ではすっかり小学生に戻ってしまいます。 恩師と教え子の立場は何年経っても変わらないですね。

小学校から英語を勉強

 六年生の時、熱血漢の担任が突然「中学生になると君たちは今までまったく知らなかった新しい科目に遭遇することになる。いきなり、その科目に出くわすと戸惑うかもしれないからその準備も含めてこの一学期は放課後新しい科目をやろう」と言い出したのです。「新しい科目ってなんですか?」と尋ねると「英語だ」と言う…。そして「それは君たちのためにやるんだ」と…。
今から考えると先生は「中学生になっても困らないように」とボランティアで英語を教えてくださったのですね。僕らのクラスが英語を始めると、これは負けていられないと、他のクラスもやりだし、お陰でみんな中学校で英語の授業を抵抗なく受けることができました。今でいう小中一貫教育のハシリみたいなものです。今は非常に感謝してるのですが、当時は「早く帰って遊びたい、なんで残されるのか」という意識が強くてブーブー文句を言っていたんです。
またある時は、昼休み直前にその日の新聞から抜粋した十問の漢字をひらがなで黒板に書き、「このひらがなを漢字になおせ。そして十問できた生徒からお弁当を食べて良い」と言う。「日々新聞に出ている漢字ぐらいは読めないといけないし、書けないといけない」と言うのです。早く十問正解しないと、お弁当も、食べられないわけですから、僕らは必死になって覚えました。おかげでものすごく勉強になり、自然に漢字を覚え、相当頭に入りました。勉強というのは、「やれ」というだけではなかなかやらないもの。先生は子供の心理をうまく掴んでいたわけですね。先生は当時独身で二十代か三十代前半でした。新聞を選んだのも時代のニーズに合っていたと思います。
先生はまた、運動会でも、前に立って「頑張ろう」と凄く熱くなる先生でした。教育や勉強というのは先生の資質に負うところって多いと思います。現在は、そういうことをシステム的にやろうと、小学校でも英語を教えていますが、その頃は珍しい試みだったと思います。

ボーイスカウトに入団

 小学校の五年生の頃、地元ではボーイスカウト団が発足しました。父親は勉強も大事だけれど、ボーイスカウトの体験も必要だろうと私を団員に入れ、中学校の二年生までの四年間ほどボーイスカウトに所属しました。
 ボーイスカウトでは、キャンプや手旗信号、飯盒炊爨とか、ロープの結わえ方などいろいろなことを経験しました。キャンプでは食事も自分で作らなきゃならないので、飯盒でご飯を炊くのですが、これが難しいのです。飯盒をひっくり返すタイミングが悪くて失敗するとシンの固いご飯ができる。もし失敗しても他に食べるものがないからシンがあるご飯を食べなければならない…。ほかには、老人施設の慰問や交通整理もやりました。
現在私は石川県のボーイスカウト連盟の連盟長をやっています。石川県に限らず、各県の連盟長はほとんど県知事がやっているのですが、恐らくボーイスカウトを経験しているのは私だけじゃないでしょうか?
石川県の教育委員会では、平成十二年度から現在「わく・ワーク(work)体験」という事業を行っています。中学二年生全員が三日間、八百屋さん、魚屋さん、お年寄りの世話などを体験するのですが、子どもさんの視野が広がり、自分の将来を見つめる良い機会となり、親御さんには大変好評です。
現場体験を終えた子どもさんが自宅に戻ってやってきたことを話すのですが、親の方も「それは凄いね」と感動し、親子の会話も弾みますから、まさに一石二鳥ですね。
また、石川県では平成十四年度から自然体験の場を提供する「いしかわこども自然学校」という事業も行っています。個人参加のコースに加え、二泊三日で小学校単位で参加するコースを設けています。これも仲間ができるし、新しい体験や発見があることから多くの申し込みがあります。

懸命に勉強した高校時代

 高校時代、特に高校二年の後半からは大学の受験勉強という態勢になりました。京都大学を目指したのは近くに京大に行っている先輩がいたのと、父親の影響でした。
 父親は大正生まれで、成績は良かったのですが、家が貧しくて旧制中学校にいくゆとりがなく、丁稚奉公に出て、独学で色々勉強をしました。恐らく自分の夢を長男の私に託したのでしょう。「これからは社会で活躍するために大学を卒業しなければダメだ」と言ってましたから…。
なんとしてでも、三人の子どもを大学へ行かせようと考えていたようですが、但し「条件がある。うちには私学へやらせるほどの財力はない。だから国立大学へ行け」と言い、僕ら兄弟三人はそれぞれ進路の分野を分けました。父親自身も、息子たちを違う分野で学ばせたかったようです。父親は、私には将来法学部を卒業してなにか資格でも取得して欲しいという願いがあり、また私は世界史や日本史が好きで、文科系が強かったので京大法学部を目指し、入ることができました。次男、三男もそれぞれ国立の医学部、工学部へ行きました。
当時の担任の先生は「京大を目指してガンバレ」と応援してくださって、担当の先生が教科書よりレベルの高い参考書を薦めてくれました。それに問題がついていて問題を解いて持っていくと先生が見てくれる。そうやって傾向と対策をやったせいで、世界の歴史に興味が湧き新たな発見もありました。恐らく先生は京大がどういう傾向の問題を出すか知っていたのだと思います。ただ、当時は特定の科目だけがんばってもダメ、すべての科目をバランスよく勉強しなければ合格できません。ともかく懸命に勉強しました。勉強の成果が模擬試験の順位に現れると励みになりますね。なんとか無事にストレートで京大に入ることが出来、先生も大変喜んでくれました。

親孝行のつもりで公務員に

 大学では授業にはちゃんと出て勉強をしました。大学には全国から学生が集まりますから、学部を超えて友達ができました。新たな出会いも嬉しかったです。
下宿の隣の部屋には文学部の学生がいたのですが、話しを聞いてみると彼は神戸高校出身でお寺の息子。そして彼はSLが大好きで彼に一緒に旅行しようと誘われ、北海道から北陸、九州など日本全国を旅しました。ユースホステルや列車の中でゴロ寝した思い出が懐かしいですね。今、彼は日本の密教界の第一人者としてみんなから崇められている人で、私とは住む世界が違うのですが、今も変わらずいい友達です。
大学を卒業したのは昭和四十三年の三月です。まさに高度成長期の真っ只中でしたから、一流企業に勤めている先輩が誘いにやって来ます。私は会社に就職しようという気はなかったのですが、先輩の誘いで訪問した企業から内定をもらってしまいました。でも当時私は行政法をやっていたので、できたら国家公務員、当時は自治省、今の総務省に入りたいと思っていました。
実は父親が元々満州にある会社に勤めていたのですが、帰国後村役場から来ないかと誘われていたのに、商売を始めてしまったんです。でも、あとになって「公務員になっておけば良かった」と…。だから公務員は親の願望でもあったのです。
なんとなく、公務員になるのが親孝行になるのかもしれないと思っていたのだと思います。国家試験を受け、自治省に採用された時点で、先輩にお詫びの手紙を書いて企業の内定を断りましたが、先輩には大変怒られました。

大きな決断をし、知事に

  自治省の仕事には、東京での仕事と県庁や市役所などの仕事がありますが、私は県庁の仕事が多かったです。最初、長崎県庁財政課に配属され予算を担当しました。予算査定には、そろばんが不可欠であり、そろばんを勉強しました。また、知事が各部長を集めて予算の査定をやるわけですが、私は知事を間近に見て知事がどういう仕事をするのか、どんな立場でものを考えて、どういう判断をしているのかよく観察しました。知事と部長のやりとりを間近で見ることができたのは得がたい体験です。
 その後、平成三年、石川県の副知事に就任しました。そして当時の知事であった中西さんが亡くなられて、気がついたら私はたすきをかけて選挙戦に出ていました。それから十二年が経過して現在に至っています。
人生には何度か大きな決断をする時があります。私の場合は、そういう時は常にまわりの人が助けてくれました。うちの女房の存在も大きいですし、過去の赴任先で縁あった方々の陰の応援も大きかったです。いろんな場所での人との出会いは、すべて私の人生のプラスになっています。
県政では知事の判断は最終決断で覆すことはできません。ですから、決して独りよがりになることなく、時代の流れを見極めて判断することが大切と肝に銘じています。もし判断を間違うと県民の皆さんに大変なご迷惑をかけることにも成りかねません。そのためには、状況をつぶさに見て、どうあるべきかを考えるといった周到さも大切ですし、社会は常に動いているので、それについて行くスピードも大事にしています。すべてが県民の皆さんの幸せに繋がるようにと心がけて頑張っています。

勉強以外の体験も大切に

 私は各地へ赴任しましたが、その先々でいろんな出会いがあり、多くの友を得ました。現在は個人的な年賀状だけで千三百枚も書くほどです。
そんな私が今の子どもたちに伝えたいのは、「人との出会いを大切にしなさい」ということです。もちろん勉強も大事ですが、勉強以外の様々な体験もして欲しいです。数々の体験は人をたくましくします。私は人生の醍醐味は出会いと体験に尽きると思っています。



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