関塾 タイムス

2006年11月号vol.352

今月のタイムス
MONTHLY SPECIAL

1. 入試に備えて
実力診断テスト
私の勉学時代
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関塾
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私の勉学時代

大阪大学総長 宮原秀夫先生に聞く

地域、社会、教育機関による
豊かな人材育成を
 自由な学風と進取をモットーに「地域に生き世界に伸びる」を実践してきた大阪大学。東京大学、京都大学とともに日本を代表する大学として保持する、揺るぎないステータス。大阪の経済・社会と密接な関係を持って創設された大学であり、学術研究でも生命科学をはじめとした各分野で、数多くの研究者が世界を舞台にその活躍の場を広げています。
 宮原先生は、幼少の頃の思い出とともに、『教養・デザイン力・国際性』を持った、社会からの要請に応えうる人材の育成についてなど、未来への展望を力強く語ってくださいました。

■Profile
宮原秀夫(みやはら・ひでお)

1943年大阪府生まれ。
67年大阪大学工学部通信工学科卒業。
69年大阪大学大学院工学研究科通信工学専攻修士課程修了。
72年日本学術振興会奨励研究員。
73年大阪大学工学部助手。同大学工学博士。京都大学工学部助手。
89年大阪大学工学部教授。
2003年大阪大学総長就任
現在に至る。

白銀の札幌でスキー三昧

 生まれは大阪ですが、銀行員だった父の転勤で、小学校入学から3年生までは札幌で過ごしました。北海道の遊び・スポーツといえばやはりスキーで、雪の季節はとにかく、スキー三昧の日々。この幼少体験がきっかけでスキーに魅せられるようになり、つい最近まで毎年冬になると家族でスキー旅行に出かけるのが我が家の習慣でした。小学校4年生から中学3年生までは東京で過ごし、ちょうど高校進学を迎える頃に、再び父の転勤で大阪に戻ることとなり、大阪府立高津高校へ進学。スキー部に入りました。高津高校のスキー部は、近畿地区の大会などで上位に入るほど優秀な成績をおさめていたんです。大学に入ってからもしばらくはスキー部に所属していました。練習が厳しく、ほかにも交遊の場が広がっていったことなどもあって、結局は辞めてしまいましたが……。
 銀行員だった父は、とにかく多忙な人でした。朝早くに家を出て帰宅は深夜。そして、休みの日はゴルフに出かけていましたから。大学生になって初めて、父と母と私の3人で北海道旅行に出かけたのですが、幼い頃は父と旅行に行くなんてことはまずありませんでした。その反動もあってでしょうか……私は自分の子どもたちを連れて積極的にスキー旅行などに出かけるようになったのだと思います。



しつけに厳しかった母

 母は非常に教育熱心な人でした。まだ小学生だった私に英語の家庭教師をつけ、「字がまともに書けないようではいけない」と、書道教室にも通わせました。まだ幼かった私は、内心「遊ぶ時間がなくなってしまう」と不満に思っていたこともありました。でも、今となっては母に感謝しています。
 しつけの面でも、母は非常に厳しかったです。父に殴られたことは一度もありませんが、母からは何度も平手で叩かれた思い出があります。大阪の家に古い蔵があったのですが、悪さをするとその蔵の中に閉じ込められたこともありましたね。真っ暗闇の中でじっと耐えるというのは、幼子にとってとても怖い体験。しかし振り返ってみると自らの行いを悔い改めるきっかけをつくってくれたのかもしれません。今の親は、子どもを叱らなさ過ぎですよね。例えば、子どもが行儀の悪い行為をしていても、厳しく叱らない。学校教育も、そういう傾向にありますよね。親があまり子どもに対して過保護になるのは、いい教育だとは思えないですね。


技術者であった祖父の影響

 祖父は今でいうところのアントレプレナー(企業家)であり、エンジニア(技術者)でした。日本で最初の冷凍機を作った人なんです。祖母から聞いたのですが、なんでも、祖父が古本屋で売っていた外国版の設計図を買ってきて、それを見ながら独自で製作したのだとか。大阪で最初にできたスケートリンクが大阪の難波にあったのですが、そこの氷を作る機械を扱っていたのが祖父の勤める会社だったようです。とにかく祖父は、非常に手先の器用な人で、家電製品の修繕はもちろん、ふとしたときに紙に設計図を描いていたことなど、幼心に記憶しています。父は銀行員で文科系の人間でしたから、どちらかというと私は祖父から大きく影響を受けたかもしれません。小学校の時には、自分で鉱石ラジオを作ったんです。それからラジオなどの通信に興味を持つようになり、中学のときにはテレビを作りました。その頃はまだまだ各家庭にテレビは普及していなかったのですが、ちょうどプロレスが盛んで、私も例にもれず、プロレス観戦に夢中になっていました。もう力道山の試合が観たくて観たくて。残念ながら我が家にはそのときテレビはありませんでしたが、近所のうどん屋に割と大きな白黒テレビがありましてね。このうどん屋、夜はうどん屋としての営業はせず、大福をひとつ50円で売るんです。つまり、その大福を買って食べると、もれなくテレビ鑑賞のおまけがついてくるというわけ。しかし、プロレス中継が放送されるたびに、親から50円をもらうのも申し訳なくてね。どうしようかなぁと思っていたんですが、中学校2年生だった私にある日、母がこう言ったんです。「今学期の成績で一番になったら、テレビの部品を買うお金を出してあげましょう」と。普段そんなに勉強しなかった私が、その言葉を糧にがむしゃらに勉強し、見事、トップの成績をおさめ、めでたくお金をもらって秋葉原に部品を買いにいき、テレビを組み立てたことがあります。当時、テレビを組み立てるための部品をすべてそろえるのは、決して安い買い物ではありませんでしたが、子どもに真剣にやる気を起こさせ、結果を残すための手段としては、母はなかなかいいアイデアを実践したと思います。
 今は、アマチュア無線にしても、機械はみんな簡単に購入できる世の中ですが、昔はすべて手作りでした。自分たちで線を張って、2、3軒となりの人と「トンツー」で通信ができる楽しさ……。今でいう電子メールの走りですよね。幼心に世界がぐっと広がった気がして、ワクワクしたことを覚えています。今思えば、何でも自分の手で作るということが楽しみのひとつでもありましたね。そういう体験学習をもとに通信に興味を持つようになり、後に大学進学を迎える際にも迷わず大阪大学通信工学科を受験したんです。



研究課題は「IP電話」の元祖

 1969年の終わりから1970年初め頃のことです。現在のインターネットの原点になるのですが、アメリカ軍が敵のミサイル攻撃から国を守るために、いくつかのコンピュータをつないでミサイル防衛網を作ろうと、西海岸にあるいくつかの大学のネットワークを構築しました。米国国防総省のプロジェクトとしてコンピュータをつなぐと、様々なことが可能になることが世に広まっていくきっかけになりました。
 そして当時の私は、レオナルド・クラインロックという人のパケット交換理論を説いた学位論文に触れることになり、非常に興味を覚えたのです。私はさっそく自分の研究課題にしました。いわゆる「パケット通信」「IP電話」の元祖についての研究です。今現在のネットワークの作り方や基本的な考え方も、当時とほとんど変わらずそのまま発展したものなんですよ。当初は主に、研究者間のデータの送信(交換)として活用されていましたが、それにメールが主体となり、映像の送信が可能になるなど発展していっていますね。




昨今の学校教育について

 最近の学校教育で、小学生に株や証券の問題を教えたり、中学生にアントレプレナーを教えたりする授業があると聞きますが、私はそんな必要はないんじゃないかと思います。それよりは自分たちの手でものを作る楽しさに目覚めてほしいし、天文学や自然科学の魅力を知ってもらいたいですね。また、「日本人はもっと国際性を身につけなければならない」といって小学生のうちから英語を教えようという動きもあるようですが、日本の国語、歴史、文化をもっと深く、そして楽しみながら身につける勉強も大切だと思います。英会話も、日本の言葉、歴史や文化をより詳しく知ってこそ、豊かな話ができるのではないでしょうか。
 私自身も、正直、歴史の勉強はそう得意ではなかったんですよ。何年に何が起こったかというようなことを、羅列的にただ暗記していくような授業で、振り返って考えてみれば、楽しみながら体得していくような勉強の仕方をしていないんですね。私は社会科ひとつ、歴史の勉強ひとつにしたっていろんな教育方法があっていいと思うんです。例えば歴史に慣れ親しんでもらうために、1時間、大河ドラマを見せたっていい。要はこれから勉強する内容にいかにして興味を持たせるかでしょう。アメリカのテキストには、何のために学ぶのか、という興味をおこす序章のようなものがあるんです。そういう意味でも、教師ももっと一人ひとり工夫していくべきでしょう。教科書の内容をただ追うというような授業内容ではなく、ね。





チャンスをつかむための勉強

人生というのは偶然的な出会いで大きく右・左に振れることがあると思うんです。私もこれまでに多くの出会いに感銘を受け、人として前進させてもらえることがありました。人には一生のうち、そういう糧となる出会い、分かれ道が必ず何度かやってきます。その時、その出会い、きっかけを好機としてとらえられるかどうかは、その人自身が普段、いろんなことを勉強し、好奇心・向上心を絶やさぬよう努力することが必要な条件となるんです。この必要条件さえ整えておけば、チャンスが巡ってきた時、岐路に立たされた時に、正しい選択ができると思うんです。
勉強でも研究でも何でも、そういう風に「自分の目の前にチャンスが巡ってきたときに、より大きく、高く、望む方向に飛躍できるようにしておく、備えておくべきもの」だと思って、取り組むと、より実り多きものになると思います。すぐに役立つ勉強、すぐに儲かるための方法、といった目先のことばかりにとらわれていては、結局何も生まれません。大学もそう。やはり大学とは何より人材育成の場でなければならないと私は思っています。
企業にしても、また我々親もそうです。社会全体で、大学はもちろん、あらゆる教育の場の充実化にもっと関心と情熱を傾けてもらいたいと願ってやみません。地域でもって、子どもたちを育成していく。そういう意識が高まらなければ、今の世の中は変わらない。でもね、変えていかなければならないでしょ。



コラム
産学官連携や人材育成を推進

 地域や産業界との交流、提携を積極的に行ってきた大阪大学は、その象徴のひとつとして、2004年4月に「先端科学イノベーションセンター」を発足。
これはベンチャー・ビジネス・ラボラトリー、先導的研究オープンセンター、インキュベーション施設を統合した、いわば産学官連携推進の窓口です。
さらに、新しい研究領域や複合領域の拡大を視野に入れているのはもちろん、国際化社会に貢献できる人材育成に、より力を入れていきたいとの狙いもあって、大学院学生定員も1.2〜2倍に増員しました。

プレゼント

大阪大学のオリジナルグッズ(宮原総長の著書)を3名の方にプレゼント。投稿用ハガキで申し込んでください。



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