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2006年12月号vol.353

今月のタイムス
MONTHLY SPECIAL

1. 冬休み前の
定期テスト対策と予想問題
 ・中学生  ・小学生
私の勉学時代
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私の勉学時代

山形大学学長 仙道富士郎先生に聞く

一生懸命続けていけば
 人生は開けていきます
 山形大学は、山形市・鶴岡市・米沢市と県内主要3地区にキャンパスを構え、地域教育、人文、理、工、農、医と文系・理系の幅広い学部を擁する総合大学です。現在学長を務める仙道先生は医学部のご出身で、ガンの免疫機構に関する研究者として「NK(ナチュラルキラー)細胞」を発見するなど、世界的に素晴らしい業績を多数残されてきました。今回は、そんな仙道先生に少年時代の思い出や、NK細胞の発見にまつわるさまざまなエピソードなどをお伺いしました。

■Profile
仙道富士郎(せんどう・ふじろう)

1938年秋田県生まれ。
1965年北海道大学医学部卒業。
70年同大学大学院博士課程修了。
70年北海道大学附属癌研究施設助手。
72年より74年まで米NIHにて研究に従事。
75年山形大学医学部助教授。
82年同大学医学部教授。
2000年より01年まで同学部長。
01年同大学学長就任、
現在に至る。

授業を抜け出し雪合戦

 私が生まれた秋田県の羽後町は、米作りが盛んな地域で、あたりは水田に囲まれていました。私の父は開業医でしたが、同級生は農家の子どもがほとんどで、医者の息子というのは珍しい存在でした。羽後町は夏は暑く冬は寒いところで、夏場は暑さしのぎに川で水遊びをしましたし、冬に雪が降りはじめると雪合戦をする毎日でした。そういえば、中学生のときには授業中に抜け出し雪合戦をして、担任の先生を困らせたこともありましたね。
 母は、父にとっては自慢の妻だったようですが、子どもの私にとっては怖い人でした。礼儀作法には非常に厳しく、少しでも行儀が悪いと厳しく注意されました。実は、今の私も孫たちについつい礼儀作法で叱ることが多く、「厳しいおじいちゃん」と思われているようなのです。母から受けた影響が大きいのでしょうね。
 母は教育についてもとても熱心で、まさに「教育ママ」でした。母は代々医者の家系に生まれ、旧制女学校卒業後は医者を目指していたのですが「女が医者になるなんてダメだ」と祖父に反対され、婿養子として医師の父を迎え入れたそうです。おそらく自身が教育を最後まで受けられなかったぶん、私の教育にも熱心だったのでしょう。
 私の通う小学校は非常に自由でのびのびとしていて、勉強するというより学校に遊びに行っているような感じでしたね。そうした雰囲気のなかで、特に影響を受けた先生が3年、4年の担任だった金義二先生です。例えば算数の分数の授業では、ただ計算方法を教えるのではなく、実際のリンゴなどを例にして「分数とは分けるものだ」といった原理をしっかり教えてくれました。金先生に教わった生徒は、算数だけでなく他の教科もみな伸びたのではないでしょうか。小学6年生のとき、歴史の授業で一人ひとりが巻物のような紙をもらって、実際に年表を書き続けたことがあります。自分で年表を書いていくと、歴史上のできごとや年号も覚えますし、年表が完成したときには大切な記念品になりました。まだ戦後間もない時代、田舎の小学校ではありましたが、とても進歩的な教育をしていただいたと思います。


大学卒業…修練の時代

 高校は仙台二高に進みました。当時兄が東北大学に通っていたので、高校へは兄の下宿から通いました。当時の私は国語の先生の影響から、文科系への進学を考えていました。先生は高校で教えながら学会などで研究発表をされていて、授業の合間に研究の話をしてくださるのです。学会が近くなると、深夜まで発表準備に追われるためか目を腫らせて授業に出てくることもしばしば。私はそんな先生を見ながら、研究に打ち込むというのはすばらしいことなんだ、と思うようになり、哲学、経済などへの関心を深めました。結局は医者を目指し医学部へ進学することになりましたが、研究者の道へ進んだのは当時の影響があったからかもしれません。
 大学受験1年目は東北大学を受験しましたが落ちてしまいました。そんなことから東京で浪人生活を送ることになったのですが、当時の思い出でなにより印象的なのは予備校へ通うときのラッシュですね。ラッシュにもまれるという、つらい毎日を送るなかから、青函連絡船の向こうにある北の大地への憧れが生まれたのだと思います。翌年は北海道大学医学部を受験し、無事合格。結局、札幌には15年間住むことになるのですが、自然豊かな街で今でも気に入っています。
 今とは違い、当時の医学部での勉強はそれほど厳しくはありませんでした。医師国家試験も国立大医学部生はほぼ全員が受かるという時代でした。今思い出しても、学部時代はどちらかといえばのんびりと勉強していた気がしますね。私が本格的に勉強を始めたのは、大学卒業後、研修の1年間を経て大学院へ入学してからのことです。
 私は常々言っているのですが、大学での4年間、6年間も確かに大事です。でも本当は、その後の10年をいかに過ごすかが、将来にとってより重要なのだと…。その時期に、お金のことばかり考えずしっかり修練を重ね、互いに切磋琢磨し一定のスタンダードに到達することができれば、一生の財産となります。私の場合、北海道大学大学院から助手を経てアメリカのNIH(National Institutes of Health:国立衛生研究所)で研究を続けた期間がそれにあたります。特に、NIHでの2年間は我ながら本当によくがんばって研究を続けたと思います。


世界的な発見「NK細胞」

 NIHへ渡るきっかけを作ってくださったのが、北大での恩師小林博先生でした。実は、私は大学院では内科を専攻したのですが、専攻とは別に最低1年間は基礎医学を研究する決まりになっていました。私は「それなら最初の1年で基礎など済ませてしまおう」と考え、小林先生の元で免疫学の研究を始めたのです。1年のはずが2年、3年と続き、そのまま基礎医学の研究者への道を進むことになってしまいました。大学院から大学の助手へと採用となり、当時たまたま小林先生の友人がNIHで研究している関係から、私もNIHへ研究員として紹介していただきました。そしてそこで、私の一生を変える「NK細胞」に出会ったのです。
 NK細胞は、体内にガン細胞が発生したり、ウイルスや細菌が侵入してきたときにそれらを殺し、人間を守る働きをする細胞なのですが、当時NK細胞が存在することは予想もされていませんでした。私自身も、NIHへ渡った当初は「キラーT細胞」と呼ばれる別の免疫に関わる細胞がガン細胞に働くメカニズムについて研究していましたから……。ところが、1年半も実験に明け暮れたのに肝心のキラーT細胞とガンの関係については、成果がまったく上がりません。NIHでの研究期間は2年と決まっていたため、このままではマズイと焦りながら実験ノートを必死に見直していたときに、いままで実験で比較対照に使っていた「キラーT細胞が働かない」はずの試験管でも、わずかながらガン細胞が殺されていたのを見つけたのです。これがNK細胞の発見でした。
 後々わかったのですが、当時NK細胞が殺すことができるガン細胞の種類はごく限られたものでした。私を含めてほぼ同時に3人がNK細胞を発見しているのですが、いずれの研究者もたまたまNK細胞が働くガン細胞を実験に使っていたため発見できたのです。また、キラーT細胞の研究で成果が上がっていれば、私もノートを見直すことなどをせず、NK細胞発見につながるデータも見落としていたことでしょう。当時はがむしゃらに研究を続けていただけなのですが、今振り返るとこうしたちょっとした偶然や失敗のなかで、いかに新しいことに気づくことができるかどうかが、研究においてはとても大切なことだと実感しています。
 NIHから帰国後、私はNK細胞の研究から好中球へとテーマを変えていきました。実は、私たちの発見をきっかけに、NK細胞については各国の研究者が飛びつき、それこそ猛烈な競争になっていたんですよね。私はほかの人と同じようなことを研究するのが好きではないので、NK細胞から離れ、小林先生がたまたま見つけていた好中球の奇妙な現象を研究することにしたのです。
 好中球は細菌感染時に免疫として働く細胞で、けがをしたときに出てくる膿は、この好中球の死骸です。好中球自体は昔から知られていたのですが、小林先生が見つけた現象は、ガン細胞にも働いている可能性を示すものでした。帰国後私は山形大学に移ったのですが、この奇妙な現象を突き止めるため大学院生と共同で研究を続け、数年後、ガンの免疫機構としても働いていることを突き止めることができました。



ねばり強く続けることが大切

 私がこれまでたどってきた道は、決して順調なものではありません。大学受験でも一度失敗していますし、NIHではあと少しで実績を上げないまま日本へ帰国せざるを得ない、という大ピンチに陥りました。そうしたなかで、様々な偶然が重なったとはいえ結果を残せてきたのは、どんなことでも、ねばり強く続けたからだと思っています。何事も、一生懸命続けていれば、かならず人生は開けます。ですから、みなさんも勉強やその他の活動を途中で投げ出さず、ねばり強く続けていって欲しいと思います。



コラム
自然と共生に関わる研究プロジェクト

山形大学では、「自然と人間の共生」をテーマに各学部で活動を行っています。この夏には、大学側で1000万円の予算を用意し、子どもも含めた人たちを対象に自然と共生に関わる研究プロジェクトを募集、子どもたち自身にも研究してもらう、といった活動を行いました。ほかにも農学部ではNPO団体等と協力し庄内砂丘の海岸林植林活動を行うなど、地球環境との共生に関する様々な活動が進められています。

プレゼント

山形大学オリジナルグッズ「がくちょうせんべい」を3名の方にプレゼント。投稿用ハガキで申し込んでください。



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