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2007年7月号vol.360

今月のタイムス
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私の勉学時代

山口大学学長 丸本卓哉先生に聞く

「私にも役目がある」と考えて、
忍耐強く努力してほしい
  国立大学法人山口大学は、山口市と宇部市にキャンパスを置く、7つの学部と9つの大学院研究科を持つ総合大学です。1905年に現経済学部の前身である山口高等商業学校が設立されてから、100年を超える歴史が大学内に息づいています。学長を務める丸本卓哉先生は、土壌微生物学の権威で、荒廃地を緑化する活動を国際的に行っておられます。2007年4月には日本農学賞を受賞されました。今回は少年時代の思い出から、闘病生活を余儀なくされた青年時代、ライフワークである緑化活動について伺いました。

■Profile
丸本卓哉(まるもと・たくや)

1942年福岡県生まれ。
67年九州大学農学部卒業。
73年同大学大学院農学研究科博士課程修了、山口大学農学部助手。
85年に同大学助教授。 91年同大学教授。96年同大学農学部長。
97年日本土壌肥料学会賞受賞。98年山口県科学技術振興奨励賞受賞。
2004年山口大学副学長。同大学大学教育機構長。06年同大学学長に就任。
現在に至る。
07年、日本農学賞、読売農学賞を受賞。
著書『地域生態系への回帰?急傾斜地に樹林を復元する新しい理念と戦略』は中国語版も出版されている。

文学好きで教育熱心な父

  私の父は、文学が大好きで、自分でも短歌を作ったり、小説を書いたりしていました。好きな作家の新刊が発売されると、すぐに買って読んでいたので家の中はいつも本だらけ。そんな父でしたから、私には子ども向けの文学全集などを買い与え、プレゼントといえばほとんど本だったんですよ。おかげで私も小さい頃から本に親しむようになり、コナン・ドイルなどの本を読みふけっていました。父は西日本鉄道株式会社で広報や宣伝の仕事をしていた関係で、宣伝文を書いたり、ときには写真撮影もしていたようです。父にとってカメラは趣味の一つでもあって撮りためてくれた私の写真が今もたくさん残っています。
 とにかく家族想いな父でしたね。私たちをよくハイキングに連れて行き、飯ごうでごはんを炊いてくれたり、映画やプロ野球の試合を観に、街までいっしょに出かけたのもいい思い出です。当時、福岡市を本拠地にしていた西鉄クリッパーズ(現西武ライオンズ)というプロ野球チームがたいへん強くて、私も熱心に応援したものです。
 私は北九州市の生まれで、3歳の時に宗像郡津屋崎(現在の福津市津屋崎)に引っ越しました。ガキ大将だった私は、近くの子どもたちを引き連れて、けん玉やパッチン(めんこ)などで遊んでいました。山でどんぐりを集めたり、川でコイやフナを獲ったりして、野山を駆け回ることもありましたし、家のすぐ近くにある海でよく泳ぎましたね。小学校高学年のとき、まだ遊泳禁止だった4月頃に泳いだことがあるんです。海に入ったことを黙って家に帰ったのですが、なぜか母にわかってしまい、ひどく怒られました。後になって聞いたところ、頭がびしょぬれだったそうです(笑)。
 母は若い頃、タイピストの仕事をしていたらしいのですが、父と結婚して専業主婦になりました。普段はとても優しいのですが、怒ると怖い人でした。私は長男で、弟と妹が一人ずついるのですが、母は私を怒ることで、下の2人を教育していたのでしょう。


40人中37位で退学を決意?

 父は、学生の頃、トップクラスの成績だったようですが、家庭の事情で高等教育を受けられませんでした。そのため、私には良い教育を受けさせようと、通学に片道1時間半かかる有名中学校に通わせました。通学時間を利用して、1日1冊ぐらいのペースで毎日本を読んでいましたね。
 中学3年生になると福岡市の名門高校を目指し、ひたすら勉強しました。その甲斐あってか、何とか合格できたのですが、入学して最初のテストで40人中37位。意気消沈した私は、「こんな優秀な人が集まっている学校で、3年間もやっていけない。ここはやめて、もう少しやさしい学校に転校したい」と父に泣きつきました。
 それに対して父は、「まだ、始まったばかりだ。必死でやってみろ。それでもダメだったら、おまえの言うとおりにしてあげよう」と言ってくれました。その言葉で覚悟を決めた私は、毎日、友人と放課後の2時間を使って必死に勉強したところ、次のテストでは、なんとか10位になれたのです。そのとき、「やればできるんだ。忍耐強く続ければ、私にも人並み以上のことができる」と実感したものです。
 勉強に自信をつけた私は、今度は空手に夢中になりました。小さい頃から宮本武蔵のような強い人に憧れていたこともあって、「武道を通じて強い心と体を作りたい」と思ったのです。ちょうど学校の警備員の方が空手の先生をされていたので、頼み込んで教えてもらいました。友人とともに空手の同好会を立ち上げ、キャプテンとして練習に明け暮れる毎日に。結果、高校を卒業する頃には2段の腕前になっていたと思いますね。
 高校3年で進路を決めるとき、何となく検事に憧れ、法科に行こうかなどと考えていました。他には、船で世界中を回りたかったので、商船大へ行って船長になろうかと思ったり、警察官、自衛官など、いろんな進路を考えていました。その中で、小さいころから自然と親しんできたことから、農学部は自分にとって違和感なく取り組めそうだと思い、九州大学農学部を受験しました。ところが、同好会に熱を上げすぎたのか、大学受験を一度失敗しているのです。2年目の受験で、合格することができました 。

病気休学するも微生物研究へ

  つらかったのは、九州大学農学部に入学後、半年もしないうちに盲腸、肋間神経痛、結核と立て続けに病気にかかり、1年間の休学生活を余儀なくされたこと。その後、農芸化学科を専攻したのですが、今度は胃穿孔という病気にかかり胃に五円玉ぐらいの穴が開いてしまったのです。すごい痛みでした。すぐ手術して助かったのですが、運が悪ければ死んでいたかもしれません。
 一方でいいこともありました。胃穿孔の手術と前後して大学院の入学試験を受けたところ、15人中5人合格という難関であるにも関わらず、合格できたのです。あまり勉強する時間がとれなかったのですが、運が良かったとしか言いようがありません。

土1グラムに100億の微生物

 私の恩師は原田登五郎(はらだとうごろう)先生という土壌肥料学の権威です。原田先生からは、「サイエンスに携わる者は、素直にデータや現象を見ることが大切である。現場の仕事をいつも手がけ、現場と教室を行き来して学問の真理を追究しなさい」と教えを受けました。私は、この教えを忠実に守り、常にフィールドワークをしながら素直な目でデータを見てきました。
 土壌微生物学は、土の中の微生物を調べて土のことを知り、作物などの生育を支援するための学問。土というのは貴重なもので、1ミリの厚さの土ができるには、温帯気候で約50年の歳月が必要なのです。畑や田んぼには数十センチの土がありますが、それができるまでには気が遠くなるような長い時間がかかっているんですよ。
 土の中には微生物がたくさんいます。1グラムの土に約100億の微生物がいますが、実はその微生物たちが土を作っている、と言っても過言ではありません。土があるから草が生え、木が茂り、その中で動物や人間が暮らしています。土はまさに生命の源なのです。長年、そんな研究を重ねてきたおかげで、社会に多少なりとも貢献できる仕事ができたと自負しています。


菌根菌で荒廃地を緑の土地に

  今、環境破壊が問題になっていますが、その一番大きな原因は人間の活動です。問題なのは、木を切り倒して利用するだけ利用し、裸地のまま放置すること。それでは環境破壊は進む一方ですよね。けれども今、地球のあらゆる地域で、そういった環境破壊が起きているのです。
 環境破壊によって荒廃した土地を緑の土地にもどすためには、草木をなるべく早く育てなければいけません。そこで、私が注目しているのが菌根菌。植物と一緒に生活する微生物の一種で、植物からエネルギーをもらい、養分や水分を植物に与えます。このような菌根菌と植物の関係を共生関係といいます。また、菌根菌から長く伸びる菌糸は、土をしっかりと保持するので、土壌保全にも役立ちます。
 私は、菌根菌を使って環境緑化できないか、と15年前から研究しています。その一つが肥料、種子、菌根菌などを一緒に入れた緑化バッグ。裸地になった土地に緑化バッグを置くと、すぐに草木が生えてきます。火砕流で荒廃した雲仙普賢岳周辺に置いたところ、1年で驚くほど多くの草木が生えてきました。その後、さまざまな地域で緑化バッグを用いて荒廃地の修復に努めています。このような活動をしていると、環境に対する一人ひとりの考え方がとても大切であると感じます。環境は誰かが守るのではなく、一人ひとりが守るものです。子どもの頃から自然と接して、自然に対する感性を養ってほしいと思います。


人には皆、役目があります

  私がみなさんに伝えたいことは、できるだけ多く自然と接すること、そして、人にはそれぞれ役目があるのだということです。私は若い頃に重い病気にかかったのですが、運が悪ければ死んでいたかもしれません。そのことを考えると、「今、生かされている」と心の底から感じます。生きている間は、どのような人にも何らかの役目があるのではないでしょうか。若い人たちにとって死は遠いことかもしれませんが、ぜひ、「私にも役目があるんだ」と考えて毎日を過ごしてください。
 私が学生たちにいつも話すのは、「忍」という字のことです。「忍」という字は「心の上に刃物」と書きます。それは、刃物が自分の上にぶらさがっていて、糸がいつ切れるかわからない、という状態を示しています。そのような厳しい状態を我慢することが「忍」ということなのです。
 人生において一番大切なことは、人と信頼関係を築いて、忍耐強く努力を続けることです。何事にも感謝の心を忘れずに、自分がしたいと思うことを忍耐強く続ければ、必ず成功できます。ぜひ、「忍」という字を心に留めておいてください。



コラム
緑化バッグで地球を修復

丸本先生が開発した緑化バッグを荒廃地に設置すると、驚くべきスピードで草木が生育します。1991年に雲仙普賢岳周辺の荒廃地の緑化に成功し、その後、沖縄・米軍基地の赤土流出防止、鹿児島・桜島の火山灰流出防止、山口・温井ダムの岩盤緑化などで、緑化バッグは驚くべき力を発揮しました。丸本先生は、中国政府の要請により、10年前から内モンゴル地区や山峡ダム周辺における緑化バッグを使った荒廃地の修復に取り組んでいます。地球環境の悪化が懸念される中、世界各国から緑化バッグのパワーに大きな期待が寄せられているのです。


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