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2007年8月号vol.361

今月のタイムス
MONTHLY SPECIAL

1. 夏休みの有意義な過ごし方
 苦手科目を克服するのは今!
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私の勉学時代
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私の勉学時代

津田塾大学学長 飯野正子先生に聞く

「私にも役目がある」と考えて、
忍耐強く努力してほしい
 津田塾大学は、津田梅子氏が1900年に創設した日本初の女子高等教育機関です。東京都小平市にキャンパスを置き、英文学科、国際関係学科、数学科、情報科学科および大学院において、個性を重んじた少人数教育を行ってきました。多くの卒業生が各方面で社会的な貢献を果たしていることは広く知られています。学長を務める飯野正子先生は、アメリカ史の第一人者として知られており、日本人や日系人の移民研究において数々の賞を受賞していらっしゃいます。今回は飯野先生に子どもの頃の思い出やアメリカ留学などについて伺いました。

■Profile
飯野正子(いいの・まさこ)

1944年大阪府生まれ。
66年津田塾大学学芸学部英文学科卒業。
同年、フルブライト奨学生として留学し、シラキュース大学大学院歴史学科入学。
68年同学科修士課程修了(MA取得)。専門はアメリカ史。
69年津田塾大学学芸学部非常勤講師。81年に同大助教授、91年に同大教授に就任する。
97年に著作『日系カナダ人の歴史』でカナダ首相出版賞を受賞。2001年、国際カナダ研究カナダ総督賞を受賞。この間、マギル大学客員助教授、アカディア大学客員教授、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員などを歴任。
04年津田塾大学学長就任。
現在に至る。

多忙な父と教育熱心な母

 私の父は、耐火煉瓦(たいかれんが)を作る会社を経営していました。耐火煉瓦はガラスや鉄などを溶かす炉の材料となるもので、私が通っていた小学校にあった陶芸用の炉は、父が寄贈したものだと担任の先生から聞いたことを記憶しています。
 父は仕事がたいへん忙しく、あまり家にいませんでしたが、時間があれば食事や買い物に連れて行ってくれました。外出用の服を着てお出かけするのが、とても楽しみでした。
 よく覚えているのは、新年度になると、父がすべての教科書に名前を書いてくれたことです。夜遅く帰ってくる父には直接頼めないので、父の目につきそうな所に新しい教科書を積み重ねておくと、毛筆で名前をきれいに書いておいてくれました。今でも名前の欄を見ると、父のことを思い出します。
 あまりに忙しく働きすぎたのでしょうか、父は、私が中学3年生のときにガンで亡くなりました。まだ50代の働き盛りでしたから、若すぎる死でした。父が亡くなった後、「昔、お父様に助けていただいた」と話してくださる方が何人もいましたので、詳しいことはわかりませんが、きっと父が何かお世話したのだと思います。そのおかげもあり、善意ある人々に囲まれて、父の死後も家族は平穏に暮らしました。
 私は3人兄弟の末っ子で、7歳上の姉と4歳上の兄がいます。教育熱心な母だったので、私は小学校に入る前から、バレエ、絵、ピアノ、歌、書道などのお稽古(けいこ)に毎日のように通いました。その中で私が一番好きだったのはバレエ。予習する必要がなく、教室に行っておけいこをすればよかったからです。一番長く続けたのは書道で、18歳まで練習したおかげで、5段の免状をいただきました。


私の勉強を第一に考えた母

 私は読書が好きで、小さい頃から『ああ無情』『宝島』など、子ども向けの文学全集を読みふけっていました。本が終わりの部分に近づくと、次の本を用意しておかないと落ち着きませんでした。教科の中でも国語が一番好きで、特に作文が得意でした。よく書けたものを学校の文集にのせてもらったことが何度かあります。一度、ドラマの脚本を書く機会があり、それがラジオで放送されて、本として出版されたこともありました。
 お稽古の中には英語の勉強もあり、偶然ですが、先生が津田塾大学の卒業生でした。イラストがいっぱい描かれた英語版のテキストで勉強するのが、とても楽しかったことを覚えています。中学生の頃には姉がミッションスクールに勤めていた関係で、アメリカ人の宣教師が家によく遊びに来ていて、その宣教師の方に英語を教えてもらいました。その頃、英文学の翻訳本を読み、「原文ではどのように書かれているか」と興味を持った覚えがあります。
 高校生の頃、英語の成績はよかったのですが、「英語が好き」というよりも、英語の文学が好きでした。大学では英文学を専攻することに決め、大阪大学を受験して合格したのですが、兄の強い薦めもあって津田塾大学に入学することにしました。私が東京に行くことになると母は寂しい思いをするにちがいなかったのですが、津田塾大学に入学することに一言も反対しませんでした。私の勉強を第一に考え、自分の気持ちなどは二の次だったのでしょう。


恩師に厳しさと寛容さを学ぶ

 大学では 英語漬け になりました。とにかく授業で出される課題を一所懸命にこなし、辞書は1年間でボロボロになってしまいました。素晴らしい先生にも恵まれ、とくに佳知晃子(かちてるこ)先生と高野フミ先生にはお世話になりました。
 高野先生の授業は1年生のときから受けましたが、すべて英語で行われるので、最初は質問の意味さえわかりませんでした。一度、授業中に指された生徒全員が、 I am sorry, but I don,t know. と言ったことがあり、「 I am sorry でない人はいないのですか?」と高野先生の逆鱗に触れたことがありました。そのような雰囲気の授業ですから、緊張して体がコチンコチンになり、50分の授業が終わると寮のベッドに倒れこむぐらい疲れました。
 高野先生には「ここまではわかってほしい」という強い願いがあったのでしょう。当時はそのように考えられませんでしたが、後に教員になったとき、「高野先生のように自信を持って教えることができるのか?」と自問してみると、学生に厳しく接するのは、とても難しいことだと気づいたのです。
 佳知先生には3年生と4年生のセミナーでお世話になりました。日系アメリカ人の研究をしておられたことは当時は知りませんでしたが、偶然、その後、私も同じ研究をすることになったのです。佳知先生には相手のことを思いやり、相手の成長を願う姿勢がありました。「その人によかれ」と思うことを寛容な態度で薦めるのです。佳知先生には、研究と生き方の両面について学んだと思います。

辛かったディスカッション

 大学を出たら新聞記者になりたいと考えたこともありましたが、就職活動を始める前に、アメリカへ留学するチャンスが訪れました。フルブライトの招聘(しょうへい)教授として津田塾大学に教えに来られたラルフ・ケチャム先生から招かれたのです。授業料は免除で、ケチャム先生の自宅にホームステイという条件で、当時としては恵まれた環境において、シラキュース大学大学院でアメリカ史を3年間学びました。
 勉強は本当にたいへんで、1週間に何冊も本を読み、レポートを提出しました。特に辛かったのがディスカッション。みんなの前で意見を言うことに慣れていませんし、ましてや英語で発言しなくてはなりません。議論の場で意見を言わないと、「クラスに貢献していないから卑怯である」とみんなに思われます。なかなか意見を言えず、憂うつな日々が続きましたが、休むわけにはいかないので、とにかく出席を続けました。
 初めの頃、担当教授は、私には発言するような意見がない、と思っていたようですが、学期末に私が提出したレポートを読んで、自分なりの意見があることを知った後は、ディスカッションの最初に私を指名してくれるようになりました。最初に意見を言えば、ペースをつかめます。慣れてくるとみんなで話し合うことの大切さがわかり、憂うつだったディスカッションも前向きに参加できるようになりました。

他人を知れば自分がわかる

 私の専門はアメリカ史で、とくに移民史、その中でも主に日本人移民と、その子孫である日系アメリカ人の研究をしてきました。アメリカは、まさに移民の国です。世界中のあらゆる場所から人々が押し寄せ、それぞれの文化や風俗を持ち込んで、争ったり協力したりしながら、現在のアメリカを作りあげたのです。
 私は、「先に移民した人々は、後から来る移民をどのように受け入れたのか」「さまざまな民族的背景を持つ人々が社会の中で、どのような役割を果たしてきたのか」などと考えながら、取材をしたり資料を調べたりしました。研究を進めるうちに、多様な文化のなかで自分という個性を確立し、他人に寛容であることの大切さも学びました。
 他の国を知ることは、遠くにあるものを切り取って調べるだけではありません。他の国を知ることで、自分の国を深く知り、最終的には自分を知ることにつながります。他人が自分とは違ったものを持っていると理解することで、自分をも理解できるのです。

回り道は無駄ではない

 最近の学生を見ていると、あまりに早く、「これは嫌い」「これは自分に向かない」とあきらめてしまう人が多いようです。物事の結果はすぐにはわからないものですから、多少たいへんであっても、あきらめずに続けてほしいと思います。興味のあることを探し、見つかったら少し続けてみる。目標には真っ直ぐに行けないことも多く、ときには回り道をしなければなりません。でも、人生には無駄なことなどひとつもないのです。回り道だと思っても忍耐強く努力を続けてほしいと思います。



コラム
犬の文鎮

飯野先生をアメリカ留学に誘ったケチャム先生は、夫婦で飯野先生を精神と生活の両面から支えました。ケチャム先生は、飯野先生と男子学生をフットボールゲームに誘った後、「デートに誘われたかい?」と聞いて、ボーイフレンドの心配までしてくれたそうです。一方、ケチャム先生の奥様は、試験日になると飯野先生が緊張で朝ご飯を食べられないことを知っていたので、「無理に食べなくてよいからね」という意味で、お皿の上に犬の文鎮を置いてくださったそうです。その犬の文鎮を飯野先生は今も大事に持っていらっしゃいます。


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