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2008年2月号vol.367

今月のタイムス
MONTHLY SPECIAL

1. キミの弱点はどこだ?
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私の勉学時代
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関塾
関塾 タイムス

私の勉学時代

東北大学総長 井上明久先生に聞く

何かに打ち込み
精一杯生きよう
 1907年に創立され、今年で101年目を迎える東北大学は、東京大学、京都大学に次ぐ歴史をもつ国立大学です。建学以来、「研究第一」「門戸開放」「実学尊重」の理念を掲げて、世界トップレベルの研究・教育をしてきました。東北大学は今、大学院に重きを置き、その「大学院大学」というスタイルで、国際的な視点を持った、人間力・生活力の高い学生を育てることを目指しています。

■Profile
井上明久 (いのうえ・あきひさ)

1947年兵庫県生まれ。
70年姫路工業大学工学部金属材料工学科卒業。
75年東北大学大学院工学研究科博士課程修了(金属材料工学専攻)。76年同大学金属材料研究所助手。
85年東北大学金属材料研究所助教授、90年東北大学金属材料研究所教授。97年東京工業大学精密工学研究所教授(併任)。科学技術振興事業団・創造科学プロジェクト「井上過冷金属」総括責任者。2000年東北大学金属材料研究所所長、01年文部科学省科学官(併任)。02年東北大学総長補佐(研究推進担当、併任)。
05年同大学副学長。06年同大学総長に就任、現在に至る。

自然から学ぶ

 小学校の時から、兵庫県の姫路市の郊外に住んでいました。今思い出されることは、遊んだことばかり。山あり川あり、海あり、沼地(湿地帯)ありというような自然がたくさんある環境だったので、今日は山に、明日は海にとよく遊びました。カブトムシを捕りに朝の4時ごろ起きて、自分の背丈ほどの朝露にぬれた木を掻き分けて行ったり。秋にはきのこを採りに山へ。松の葉が落ちている下あたりはきのこがあるんですよ。
 小学3年の夏休みのことです。朝10時より前に泳いではいけないのに、9時半くらいに川へ泳ぎに行ったんです。その日は実は、夏休みの登校日。すると、土手の上で友だちや母が大声で名前を叫んで何か言っている。よく聞いてみると「今日は学校行く日でしょ!!」と。そうだった、忘れてた、と急いで登校しました。10時まで入ってはいけないというルールを破って川で遊んでいたもんだから、今度は先生からえらい叱られたという覚えがあります(笑)。

多趣味の父と、がんばり屋の母

 父はいつも夜遅く帰宅していました。そんな忙しい父でしたが、趣味が豊富なので休みの日は釣りなどよく連れていってもらいました。夏になると、土曜日は早く帰ってきて、竿などの手入れをするんです。中学の時も、父とアユ釣りをしに市川や円山川の上流によく行きました。泊まりで行くので、夜には蛍狩りもしました。
 家の畑には父の趣味であるバラがたくさんありました。京都の種苗屋さんから、わざわざ苗を取り寄せるくらい凝っており、きれいに咲くと、父は私に「持って行け」と言うんです。さすがに小学校に持っていくのは恥ずかしいからいやでした。
 母は、ずっと畑仕事をしていました。私も土日は手伝いをしていましたよ。母の見よう見まねで、あらゆる野菜を育てるところから収穫までしました。誰も信じてくれないんですけどね(笑)。今思えば、研究生活をする上で大切な、地道にこつこつ努力するところなど、毎日畑仕事をしていた母の背中を見て、自然に身についたのでしょうね。

船乗りになりたい

 父は汽船会社に勤めていたので、よく神戸港に連れて行ってもらって、何万トンもある大きな汽船が停泊しているのを見ていたことがあります。いまだに記憶に残っているのが、小学校の時、船員さんに案内してもらい、父と船内を見学させてもらったこと。機関室にはディーゼルエンジンがどーんとあって、その迫力にとても興奮しました。船長室では、白いテーブルクロスの上に置いてあった鮮やかな熱帯フルーツを見て「船長っていいなあ」などと思っていました。船に魅了されてしまった私は、部屋に船のカレンダーをかけて毎日眺めながら、ずっと船乗りを夢見ていたんです。
 高校2年の12月ごろ、職員室の廊下に立たされました。理由は、英語の試験がよくなかったから。数学・理科は、それなりにいい点数をとっていましたが、英語・国語がどうも苦手でした。答えるけれども、正解にならないので、国語は解釈がいろいろあるのでは? どうしてこの解釈ではだめなのか、と思っていました。海や山に行かないで、本を読んでおけばよかったのかもしれません(笑)。受験を控えた時期だったので先生も心配だったのでしょう。「勉強してるのか。もうすぐ受験なのに大丈夫なのか。」と言われたのです。それからは受験を意識するようになりました。
 大学は、船乗りを目指して、神戸商船大学(現・神戸大学大学院海事科学研究科)に入ろうと思っていました。しかし、希望していた航海科は、視力が裸眼で1.2以上ないと入学できず、機関科も0.8以上ないと入れなかったのです。私はそのときから視力が悪かったので、残念でしたがあきらめざるを得ませんでした。

鉄っておもしろい!!

 私が住んでいた兵庫県の白浜町あたりは、現在でも鎖の生産量ナンバーワンの地域で、建築用の大きな鎖から犬の首にかけるくらいの鎖まで作っています。コークスの中に入れて真っ赤になった鉄を、鍛造(たんぞう)してどんどん曲げて、輪っかをつなぐ。つないだら、水にジュッと入れて冷やす。これを家内工業でやっているんです。大学受験を考えたとき、中学時代、通学路に鎖の工場が数十件あったのを思い出したんです。それと、父には、動物園などいろいろなところに連れて行ってもらったけれども、今でも心に残っているのは船の見学だったんです。やはり子どものころに見に行った船が忘れられなかった。船長室のフルーツもよかったけれど、大きなエンジンがかっこよかったし、下から見た船の鉄のかたまりのような感じに圧倒されたんです。それで、金属材料の方に進もうと思いました。
 姫路工業大学に入学してから、金属の研究に取り組みました。どういう成分なのか、どういう構造で、どういう原子配列でというのを調べるのが、非常におもしろかったのです。とても興味を持ち、初めて自分で参考書を読んで調べるほど、知りたいと感じました。今まで勉強してきたものの中で、こんなにおもしろいと思ったのは初めてだったんです。


恩師との出会い

 姫路工業大学で指導いただいた先生は、橋本雍彦(はしもとやすひこ)先生でした。先生は、古川電工に勤務しながら東北大学金属材料研究所の研究生をされ、40歳を過ぎてから姫路工業大学の助教授になられた方です。私は、先生が黙々と研究をされるその姿に感激し、研究者への憧れが芽生えた時期でもありました。
 当時は、将来のことは特に考えていませんでしたが、とにかく研究がしたかったのです。すると橋本先生が金属材料で有名な東北大学を勧めてくださいました。厳しいけれどもいいと思う、と。今思うと、橋本先生がいなければ、東北大学にも来ていないだろうし、研究も続けていたかどうかわかりません。それほど、影響を受けた先生でした。
 東北大学の金属材料研究所は、歴史や伝統、過去の実績など、いろいろな意味で姫路工業大学との違いを感じました。金属材料研究所は世界の金属のメッカだったのです。この金研でも恩師との出会いがありました。今井勇之進(いまいゆうのしん)先生からは、研究はもちろん、人間としての礼儀作法を学びました。明治生まれの先生で、時間などにとても厳しいのです。増本健(ますもとつよし)先生は、若くて合理的な先生でした。時間を守っても成果を上げなければダメ、という考え方です。いろいろな先生方から、たくさんのことを学んだ大学・大学院時代でした。


精一杯生きること

 大学時代は、自分が知らなかった金属の面白さに魅せられて自ら研究に没頭する毎日でした。もしかすると、小さいころ母が一生懸命畑仕事をする姿を目にしていたことが、今につながっているのかもしれません。
 人には、向き不向きがあります。私が、金属材料の世界に入ったのは向いていたからだと思います。けれども、将来、会社に入って仕事をするにしろ、ドクターになって研究するにしろ、ひとつのことに打ち込むことが大切です。私は、いつも最善の努力をして生きてきました。みなさんも、勉強だけじゃなく、スポーツや野外での遊びでも何でも、その日その日を精一杯生きて、とやかく悩まないことです。がんばっていればおのずと道は拓(ひら)き、将来の財産になっていくと思います。何かに打ち込んだ思い出がバラエティに富んでいるほど、その人の人格形成にも大きな影響を与えます。一生懸命生きていたら、いい道に導かれていくんだ、ということをいつも心にとどめておいてください。




コラム
アインシュタインがライバル視した東北大学

1993年夏、車いすの物理学者として有名なスティーヴン・ホーキング博士が仙台を訪れました。訪問の理由は「アインシュタイン博士の本を読んでいたら、『やがてわれわれの大学と競争関係に入る大学は東北大学だ』と書いてあり、大変興味を持ったから。」ということでした。
東北大学は、研究の体制や成果、そして研究する環境など、世界中の学者から注目されており、2002年にはノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんが東北大学工学部出身だったことでも話題になりました。


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