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2008年5月号vol.370

今月のタイムス
MONTHLY SPECIAL

成績をグングン伸ばす
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関塾
関塾 タイムス

私の勉学時代

東京工業大学学長 伊賀健一先生に聞く

本当の意味で「わかる」
勉強をしてほしい
東京工業大学の前身は1881年に創立され、理学部、工学部、生命理学部の3学部と、6つの大学院研究科からなる理工系総合大学。自由な校風をモットーとし、各学部の9割近くの学生が大学院へ進学するという、理系に自信と誇りを持つ大学です。2001年からは東京医科歯科大学、東京外国語大学、一橋大学と共に「四大学連合」をつくり、各大学の得意分野をいかした幅広い人材の育成に取り組むと同時に、本学教員による小学校への出前授業も行い、子どもたちに理科の面白さを伝えています。

■Profile
伊賀健一 (いが・けんいち)

1940年、広島県生まれ。
工学博士。
63年、東京工業大学理工学部電気工学科卒業。68年、同大学大学院理工学研究科博士課程修了。73年、同大学精密工学研究所助教授。79〜80年、アメリカのベル研究所に客員研究員として在籍。帰国後、84年に東京工業大学精密工学研究所教授に。2000年、同大学名誉教授。
07年10月24日、東京工業大学学長に就任、現在に至る。
01年、紫綬褒章を受章。

自然の中で遊んで、学んで

 生まれは昭和15年、広島県呉市です。もともと伊賀家は瀬戸内海の因島の発祥で、曽祖父が初めて呉に出てきました。土建業を営んでいて、国会議事堂の建設の際には桜御影という石材を納めた人でした。呉に進出後は、山を切り開いて宅地化したり、今でいうディベロッパーをしていて、現在はもう違うかもしれませんが、地図にも伊賀谷という地名が載っていました。
 父親は当時の播磨造船所に勤める船乗りだったのですが、戦後すぐの頃でしたから無給の状態が続いたこともあり、畑で野菜を作ったり、ニワトリやウサギやヤギを飼ったりと自給自足の生活で、私も子どもなりによく手伝いをしていました。
 もちろん遊びもしっかりとしていましたよ(笑)。家が山の中腹にあったため、毎日自然の中を走り回って、虫を捕ったり、木に登ったり、海へ泳ぎに行ったり。しょっちゅう近所の子どもたちと遊んでいたのですが、その中で出会った上級生のひとりが、遊ぶなかで「ノートをとる」ということを教えてくれたんです。葉っぱや虫の絵など、周りの自然をスケッチし、それを事典や図鑑で調べるんですが、これが理科好きになるきっかけとなりました。私は兄弟がいませんでしたから、こうして違う年代の子どもたちと一緒に遊んだことは、いろいろとプラスになっていったと思いますね。


「腹立つ」先生も、思い返せば恩人

 ちょうど私が小学1年のときに、戦時中の軍国的な教育から民主的なものへと一新されました。子どもながらに世の中の激変を目の当たりにし、驚いたことを覚えています。ただ、戦争の名残は教師の中には見られましたね。小学6年のときの担任が軍隊帰りの先生で、とても怖く、軍隊式の行進をさせられたりしました。
 中学校は、小学校と同じ地元の学校へ。1年生のときの担任、原辰子先生は非常に心に残っています。とても厳しい先生で、「ひっこみじあんはダメ」「積極的になりなさい」としょっちゅう怒られていたので、その名の通り「腹立つ」先生だなあと思っていました(笑)。でも、今思えばあのように注意をしてくださり、何ごとも自ら進んでしないといけないと教えてくださったことは、ありがたかったですね。
 中学の演劇がラジオで流されることになったときには、伴奏の合唱団に入れてもらいました。もともと音楽が好きで、家ではラジオの音楽を聴いたり、ハーモニカを吹いて楽しんでいたんです。他に熱中していたのが、小学生のころから続くラジオ作り。これはエンジニアを目指していたけれども、曽祖父の反対で断念せざるを得なかった祖父の影響だと思います。自宅の倉庫に、祖父が残した電気の部品が山ほどあり、そこから使える部品を拝借してラジオ作りを楽しんでいたんです。

死ぬほど勉強をした中学時代

 中学時代というのは私の人生で死ぬほど勉強をした時期のひとつなんです。特に英語。この頃すでに大学受験用の英文法を勉強していました。機械いじりが好きだったことで、東工大を目指して猛勉強するようになったんです。もちろん最初は大学受験の本は難しかったけれど、それでもマスターしましたよ。おかげで、高校に入ってからの英語はとても楽でした。
 高校は、広島大学附属高校へ入学しました。いわゆる進学校ではなく、のんびりした学校だったんです。例えば、物理などは、学年の終わりなのに教科書の最後までいかないんですよ(笑)。とはいえ、広島大学の前身である広島高等師範学校は、教師を養成するための学校だったせいか、レベルの高い、優秀な先生が多くいらっしゃいました。
 家ではラジオ講座を聞いて英語や数学を勉強していましたが、このときはもう死ぬほどの勉強はしていません。英語などは中学時代に文法をしっかり学んでいたので、サラッと流す程度でした。この経験から、特に英語のような教科の場合は、少し背伸びであっても難しい問題に挑戦し、それを最後までやり遂げる勉強法が有効なのではないかと思います。

型にはまらず、勉強と研究を

 大学は念願かなって東京工業大学に進むことができました。昭和19年からの学長だった和田小六先生は、戦後の東工大の教育システムを整えられた方で、「型にはまってはダメ」とおっしゃり、例えば電気工学なら電気工学という専門だけに収まるのではなく、いろいろなことを勉強できるよう学科に所属するのは2年生以降という「コース制」を作られたんです。このため私も、1年生では自由に勉強をし、2、3年生では専門分野をみっちりと学びました。そこで単位もほとんど取れるので、4年生になると1年かけてじっくりと卒業研究に取り組むことができ、理想的な環境だったと思います。
 勉強以外では、無線研究部やサッカー部にも入ったのですが、最終的には昔からの音楽好きが高じて管弦楽団に入団しました。ここで始めたコントラバスの演奏にのめり込み、その後、大学院学生、助教授、教授と、立場が変わっても演奏会には参加してきました。芥川也寸志先生の指導する新交響楽ではソビエト(現在のロシア)まで演奏旅行に行ったほどです。ただ、学長に就いてからは多忙のため所属する町田フィルハーモニー交響楽団の出演が難しくなってしまって非常に残念です。
 オーケストラに熱中していたうえに、周りは手ごわい連中ばかりだったので、卒業研究のテーマを決める段階になって焦りました。そして「このままでは勝ち目がない、周りと違うことをしよう」と思い、当時まだ新しかったレーザーを通信として使う「光通信の研究」を始めた末松安晴先生の研究室に入りました。


準備のあるところに「ひらめき」が

 卒業後はそのまま大学院へ進みましたが、その博士課程のときが、人生において死ぬほど勉強した第2の時期なんです。学校では毎日実験と研究をし、夜帰ってからはひとりでこつこつと勉強。中学のときと同じですね。経験上、集中力を持続する秘訣はひとつにしぼってやることではないかと思います。何かと並行してやるとろくなことがないんですよ。
 大学院学生時代に出会った仲間は大変素晴らしかったです。みんなでディスカッションをしたり、本を読んだり。先生にはあまり頼ることなく、学生同士で勉強していました。今の生徒さんたちは少し学校を頼りにし過ぎではないかと……(笑)。
 この後、助手を経て助教授になるのですが、このとき私の最も重要な発明である「面発光レーザー」のアイデアを思い付くのです。ただ、アイデアは突然ひらめいたわけではありません。まず仮定をし、考え、可能性のあるものを実験し続けていたときに発想が跳び、ひらめいたのです。ここが人間の脳の不思議なところで、ただ漫然としていてはひらめかないんですね。
 またこの時期、私はアメリカの名門「ベル研究所」に在外研究員として1年半身を置き、優秀な研究員たちと共に研究を行いました。外国での生活とチャレンジは、大いにプラスになりましたよ。年齢に関係なく、皆さんにもこういった挑戦をしてほしいと思います。


本当に「わかる」ということ

 今の若い方たちには本当に「わかる」とはどういうことなのかを伝えたいですね。問題を解き、答えが出た、実はこれはわかっているかどうか不明なんです。2×2=4、これは誰でもわかりますが、答えを覚えているだけなんです。本当は、数字がどのように掛け合わさっているかを理解し、きちんと勘定をした上で解答を出すべきなんです。確かに学問においては、おおざっぱな方が良い部分もありますが、原理に基づいたところは厳密にしなくてはいけないんです。ここが学問の真理ではないかと思います。
 まだ世の中には面白いことや、わからないことが山ほどあります。頭の上の宇宙のことだってまだほとんどわかっていないし、手元の携帯電話だってほとんどの人は原理を知らないですよね? つまり、勉強することはいっぱいあるんです。常識がくつがえされることはたくさんあるので、自分を信じ、「わかる」ということをしっかりつかんで、チャレンジをしていってください。



コラム
 東京工業大学は、国内でも有数の研究拠点大学として歩んできました。その、100年の歴史を、詰め込んだ資料館が「百年記念館」です。
「百年記念館」には、東工大出身でノーベル化学賞受賞者の白川英樹博士の業績を記念したコーナーをはじめとして、多くの研究者の歴史的資料や益子焼などの芸術作品が閲覧できます。


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