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2008年11月号vol.376

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私の勉学時代

東京理科大学学長 竹内伸先生に聞く

「失敗は成功のもと」
失敗を恐れず挑戦すべ
 1881年、東京大学理学部の卒業生21名が、「国の発展のためには、理学の普及が必要だ」と「東京物理学講習所(東京物理学校に改称)」を設立、のちに、現在の東京理科大学へと発展していきました。東京理科大学は、理工系の大学としては日本一の大学で、理学部、工学部、理工学部、基礎工学部、薬学部、さらに経営学部を擁する、理工系をすべてカバーしている総合大学です。高いレベルの知識や能力を身につけない限り卒業できない「実力主義」の考え方は、大学院進学率や企業からの評価が高いということにも表れています。
 最先端技術に関わる学問であるからこそ、世界を目指し、世界に認められる理工系総合大学になることを目指しています。

■Profile
竹内伸 (たけうち・しん)


1935年東京生まれ。理学博士。
60年東京大学理学部物理学科卒業、科学技術庁金属材料技術研究所研究員。69年東京大学物性研究所助教授。74〜75年文部省在外研究員(アメリカ)。83年東京大学物性研究所教授。91年同所長。96年東京理科大学基礎工学部材料工学科教授。2006年 同大学学長に就任。現在に至る。東京大学名誉教授。1975年日本金属学会功績賞。99年材料技術研究協会技術賞。2002年第22回村上記念賞(金属材料研究)。


人生に影響を及ぼした戦争

 私の幼少の記憶といえば、「戦争」が強く印象に残っています。戦前に理科大のある神楽坂に近い矢来町というところで生まれましたが、第2次世界大戦が始まり、小学校2年生の秋頃に埼玉県に疎開しました。終戦を迎えたときすでに矢来町の家は焼けてなくなっていたため、杉並区に引っ越しをすることになりました。
 私は子どもながらに、この戦争で感じたことが多くありました。私自身の人生に大きな影響を及ぼした時期であると感じています。ひとつは、非常に大きく価値観が変わったこと。それまで偉いと言われていた東条英機が戦犯になり、絶対だった天皇陛下がそうではなくなったことで、いかに「権威」というものが信用できないかを痛切に感じました。もうひとつは、本来ならば死んでいてもおかしくない状態で生き延びられたことで、少し大げさですが、人生を達観するような気持ちになりました。楽天的というか、物事に細かくこだわったり物怖じしたりしなくなったんです。


詰め将棋で頭の訓練!?

 実は、小学校はほぼ半分くらいしか行っていません。3年生の夏に結核性肋膜炎(胸膜炎)というのにかかってしまいましてね。5年生までのほぼ2年半、寝たきり状態だったんです。当時は、結核の特効薬がないので、寝ているだけしか治療法がなく、父はそんな私を見て「そう長く生きられないだろうな」と感じていたそうです。幸い、回復しましたけれどね。
 私は手先が器用だったのか、本を読むよりも模型飛行機を作る方が楽しくて。竹ひごと紙を使って作るんですが、作ったら作っただけ父が天井から吊して飾ってくれるんですよ。そしたらそのうち、天井が飛行機だらけになってしまいました(笑)。病気になってからも、寝ながら何か作っていたりしました。勉強らしい勉強はしていなかったんですけどね。
 また、病気をしていたころは、もちろん外では遊べなかったのですが、やっぱり子どもですから何かしら遊びたいんですよね。そしたら、兄が将棋や囲碁の相手をしてくれたんです。あと、詰め将棋の創作。寝ていても遊べるのでかなり熱中していました。大学時代まで続けていたのですが、勉強に差し障りがあるから、というので泣く泣く断念したんです。子どもの頃は、将棋の専門誌に自分で創作した詰め将棋を投稿することもありました。今思えば、頭の訓練になっていたと思います。ムダなことではなかったと思うし、推理力などの能力の開発になっていたんじゃないかと。
 戦後しばらくして病気も治まり、通学できるようになりました。本当なら2年も学校に行っていないので、3〜4年生くらいからもう一度勉強しなければならないのですが、そこは戦後の混乱期だったこともあり、そのまま6年生から勉強することができたんです。
 休学中はずっと寝たきりだったのですが、親も勉強しろとは一切言いませんでしたし、自宅で教科書を見るなんてこともしませんでした。本当なら私はほかの人よりも2年のブランクがあるはずなんですが、そのハンディキャップをあまり感じたことがありません。あるとすれば、算数の計算ですね。一切練習していなかったので今でも苦手。理数系は得意でも、計算がものすごく遅いんですよ(笑)。国語や社会は好きじゃなかったので、これもほかの教科に比べていくらか成績が良くなかったように記憶しています。

教育ママと大秀才の兄

 母は、俗にいう「教育ママ」で、2歳上の兄が非常に厳しく教育されていました。兄は小学校の頃から大学生の勉強ができるほど優秀で、東大には現役トップで入学したほどでした。まぁ、私は病気だったこともあって、健康第一と考えてくれていたのか、厳しく言われませんでした。けれども、10歳下の弟には、また一生懸命教育していましたね。13歳下の弟は特に熱心ではなかったようですが(笑)。
 父は、東京大学の史料編纂所という研究所に勤めている学者でした。文系と理系でまったく学んでいるものは違いましたが、学者であるという点で、父から何かを感じとっていたのかもしれません。
 父は歴史学者だったので、矢来町の家には、何万冊という本があったんです。戦争中は空襲のたびにリュックサックに本を詰めて、疎開先まで何往復もして運んでいました。たくさん本はありましたが、私はあまり読みませんでしたね。もしかすると、父が歴史学者だったから、あえて避けていたのかもしれません。私も兄も、子どもの頃から理系の素養があったのかもしれませんね。

恩師のおかげで物理の道へ

 数学も得意だったのですが、中学の物理の先生や、高校の物理の寺田東一先生(物理学者 寺田寅彦の長男)のおかげで、私が物理の道に進もうと思ったきっかけづくりができました。先生の授業は物理が好きではない人にとっては、おもしろくないかもしれませんが、大学の授業でするような、とても真面目できちっとした授業をしてくださる先生だったんです。
 こうして物理に興味を持ち、勉強を始めたのですが、18歳の頃にまた結核を患いました(27歳の頃にもう一度再発)。ちょうど受験の頃だったのですが、勉強ができなかったため浪人して、東京大学に入学。大学在学中は理学部物理学科で勉強をしていました。大学を卒業してからも体力的に不安があり、物理関係の企業に就職するよりも、科学技術庁の金属材料技術研究所(現・物質材料研究機構)に行くことに決めました。
 研究所では、田岡忠美先生に実験の心構えや研究の進め方など指導を受けました。先生は、金属研究の父といわれる本多光太郎先生の伝統を受け継いでいる方で、私はそのひ孫弟子にあたるので、金属研究者としてとても幸せだったと思います。
 みなさんにはわかりづらいかもしれませんが、私は金属の物理的な性質、強度(硬さ)や磁性(磁石の性質)の研究などをしてきました。たとえば、この金属は、なぜこんなに強度が出るのか、結晶の強度というのはどういったメカニズムでできているのか、などですね。それから、少し新しい「準結晶」というものが20数年前に発見されたのですが、私はそれに非常に興味を持ち、日本で最初に研究をスタートさせました。今でも準結晶の研究・指導をしています。結晶というのは、金属でも何でもほとんどは規則正しく原子が並んでいるのですが、準結晶はまったく同じ形で並んでいるわけではない、特殊な規則性をもった非常におもしろい構造なんです。ただ、あまり実用性がないので有名ではないのですが(笑)。

不幸なことが起こっても、プラスにすることができる

 研究を続けていて思ったことは、研究者は、まず執念が必要。そしてチャンスを見逃さない目を持たなければならないということも。何か大きな発見や発明をしてノーベル賞をもらうと、あの人は運が良かったから発見できたんだ、と言われることがあります。しかし、発見するためには運だけでなく「それが重要な発見であること」を見逃さない目が必要なんです。慧眼とでも言うのでしょうか、多くの人は、その目がないために、見えていても価値のあるものだと判断できないんだと思います。ただ運が良くてノーベル賞をもらえるということはないでしょうね。
 あとは、楽天的な性格が大事。悲観的な性格だと、根気が続きませんね。これは研究だけでなく、何かを達成するための条件にもなると思います。私は幸い能天気で、何でもいいように解釈するタイプなので、その辺は心配ありませんが(笑)。
 また、勉強ができる人、できない人がいますが、実際、人間の能力の個人差というのは、非常に小さいんです。むしろ、やる気の有無が能力を支配しているんですよ。能力を最大限に生かすには、やる気や意欲が非常に重要になってくると思います。そのためにも保護者のみなさんに伝えたいのは、誉めてあげてやる気を引き出し、長所を伸ばしてあげるということを大切にしてもらいたいですね。
 私は重い病気にかかりました。それ自体は不運だったと思うのですが、そういう経験は、人生にとって決してマイナスだけではないと思うのです。「災い転じて福と成す」という言葉がありますが、不幸なことが起こっても、それをプラスにすることができる。失敗したとしても、その痛みを経験することで成長する糧になるのです。だから、失敗は成功のもと、失敗を恐れずに何でも挑戦してみる、ということが大事だと思います。




コラム
「科学のマドンナ」プロジェクト
 3年前から始まったこの企画は、科学のおもしろさを再発見してもらおうと、全国の女子中高生のために開いている講習会です。日本は女性科学者が非常に少ないので、理工学の発展のため「女性ならではの科学」を武器とした新たな科学・技術の形成を目指しています。今回は「女性にしかわからない科学」というテーマで開催しています。


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