関塾タイムスのトップへ戻る

2010年3月号vol.392

今月のタイムス
MONTHLY SPECIAL

1年間の総まとめ。
ココをチェック!算数・数学、英語のポイント!!
私の勉学時代
イラストギャラリー
QUIZ WORLD クイズワールド

バックナンバー
バックナンバー

お問い合わせ・ご意見・ご要望などありましたら、hp_info@kanjuku-net.co.jpまでお願いします。
関塾タイムス本誌は毎号、国立国会図書館に収蔵されています

ご注意
このサイトにある全ての内容の無断転載・転用ならびに、引用画像の二次利用を固くお断り致します。
当サイトを利用することにより生じた損害等に対する責任は負いかねますのでご了承ください。
Internet Exploler4.0またはNetscape Navigator4.0以上でご覧ください。

関塾
関塾 タイムス

 


私の勉学時代

お茶の水大学長 羽入佐和子先生に聞く

悩む。そして決断する。
試行錯誤のくり返しが、確かな自分を創り上げる
1875年、お茶の水女子大学は、わが国最初の女性のための高等教育機関、東京女子師範学校として設立。2009年には新制大学60周年を迎えました。長い歴史のなかで先駆的な女性が多く学び、優秀な先端的研究者や教育者を育ててきた同大学は、国際的な研究拠点を擁する教育研究機関としても、社会をリードしています。09年から現職に就いた羽入佐和子学長に、現在に至る道のり、若い世代へのメッセージをうかがいました。

■Profile
羽入佐和子(はにゅうさわこ)

1973年お茶の水大学人文学科卒業。82年学術博士課程取得。84年お茶の水女子大学文教育学部講師。90年より同助教授・同大学院人間文学研究科を経て、94年同教授。2005年副学長・附属図書館長。06年より第20期日本学術会議連携会員(哲学委員会)、08年より国家公務員倫理審査会委員を務める。09年より現職。専攻は哲学、倫理学、比較思想。『哲学ヘーヤスパースとともに』(北樹出版)ほか、ヤスパース哲学などに関する著書、論文多数。


学校が好きではなかった

4人兄妹の末っ子として生まれ育ったせいなのでしょうか。幼少時代から一貫して、両親から勉強しなさいと言われたりした記憶はまったくありません。いい意味での放任主義というのか、自由に好きなことをやらせてもらったことを感謝しています。
とくに印象に残っているのは、父が常々口にしていた「子どもには財を遺すより、きちんとした教育を受ける機会を広く与えたい」という言葉です。女子教育の先達であるお茶の水女子大学に進み、教育者としての今の自分があるのは、こうした父の進歩的な考えの支えがあったおかげだと考えています。
ただ、小学校時代の私は学校が好きではありませんでした。毎朝、学校に行くのがイヤでイヤでよく泣いていました。友達が迎えに来ると、涙を拭いて何もなかったかのようにして登校するのですが、それがツラかったことを覚えています。
なぜそんなに学校が嫌いだったのか…。今にして思うと、学校という決められた枠の中でひとつの「正解」を一方的に押し付けられることに抵抗感があったのかもしれないと思います。子ども心に正しい考え方や生き方はひとつだけじゃないということに漠然と気づいていたのかもしれません。
だから、小さい頃に「将来、何になりたい?」と聞かれると、決まって「先生にだけはなりたくない」と答えていました(笑)。人生はどう展開するかわからないものです。
そんな具合で、大人から見ると、ちょっと厄介な子だったかもしれませんが、先生たちにはずい分大切にしていただいた気がしますし、学校に行けば行ったで、朝から鉄棒の場所取りをしたりして、友達と日が暮れるまで遊んでいました。椅子に座って勉強をするより友達と遊ぶのが好きで、今思うと周りの友達や先生たちに支えられて生きていたんだなあとつくづく思います。

幅広い交友関係が人生の糧となる

中学に入ってからも、クラスを超えて、たくさんの友達がいましたし、交友関係は広かったです。私が通った学校には、今では問題視されるような友人も多くて、なぜかそういう子たちから相談を持ちかけられることが多かったです。普通の公立中学でしたので、教育に関心が高い家庭もあれば、関心のない家庭もある。さまざまな家庭環境で育った同級生たちと幅広く交友関係をもち、いろいろな考え方に触れられたのは、後々、岐路に立ったときや学問の道を選ぶ上でも貴重な経験になったと思います。
高校は、学区内ではトップレベルだった神奈川県立横浜平沼高等学校に進学しますが、そこで初めて感じたのが成績が優秀な同級生たちがいるという緊張感でした。「きちんと勉強をしなければ」という思いから、勉強に打ち込み、その楽しさに気づいたのも高校生時代からです。
当時は正解に行き着くまでの過程がとても楽しく、数学などの理系科目が好きだったのですが、大学進学時に志したのは法学部でした。法律の道を選んだのは、中学生時代の幅広い交友関係が影響しています。世の中にはさまざまな事情を抱えた人々がいる。そうした人たちを社会的にどう位置づけ、支えていけるのか。法律を学び、その答えを追求していきたいと考えたんです。

受験に失敗して落ち込んだ日々

目標に向かい、自分なりに受験勉強にも励んだのですが、残念ながら入試に失敗。もちろん落ち込みました。けれど、ストレートな道から一度外れ、何の組織にも属さない時期を過ごしたのはムダではなかったと思います。浪人時代とは、社会から一歩退いて、第三者のように客観的な目を養う貴重な機会、という意味でポジティブに捉えることもできるのではないでしょうか。
結局、お茶の水女子大学に進学し、哲学を専攻。そのまま院に進み、卒業後は研究室の助手として働きながら82年に博士の学位を取得します。そして、お茶の水女子大学文教育学部講師として職に就いたのが84年のこと。そのときには36歳になっていました。
こうして振り返って見ると、決してストレートな道のりとは言えないかもしれません。しかし、人生の節目節目で悩みながら、自分が本当にやりたいことを選び取ってきた。そんな気がしています。
たとえば、大学の研究室で働く道を選んだのもそのひとつです。じつは学部卒業時、そして院を卒業する際も、公務員として就職する道を選ぶチャンスもありました。けれど、悩みに悩んだ末に選んだのは不安定な研究者への道。その後、就職先を探す生活が数年続いたわけですが、これも不安定だけれど可能性がある道を私が選んだ結果であり、不安でしたが、後悔はありませんでした。
もちろん、その折々に私のわがままな決断を支持してくれた家族の寛大さと、幼少の頃の友達を始め、周りの方の多大なサポートのおかげで、今の自分があることは言うまでもありません

失敗を恐れず、多様な価値観に触れる

これから将来のあり方を模索するなかで、「自分に向いている道はなんだろう」と悩む人もいるでしょう。私の生き方はあまり参考にならないかもしれませんが、哲学という学問を教える立場になって気づいたことを申し上げておきたいと思います。それは、初めから誇れるような立派な”自己“を確立している人間はいないということです。
自己“とは、与えられた環境を自分なりに理解し、学び、その都度悩みながら決断していくなかで創り上げていくものだと思います。悩むという過程を経ることで、これまでの自分の殻を破り、視野を広げ、次の成長のステージに行くことができる。そのくり返しこそが、人生なのではないでしょうか。
だから、考え込む前に、まずは失敗を恐れず、さまざまなことを試してみてほしい。そして自分とは異なる、多様な価値観に触れてみてほしい。そうした姿勢こそが成長の糧となるように思います。私が専門とするカール・ヤスパースの哲学では、世界の多様な価値観、文化を尊重する姿勢と、人と人とのコミュニケーションを重要視する考えを特徴としています。彼のさまざまな主張の中でも、私がもっとも共感する部分でもあります。
また、自分が少しでも成長することは、決して自分だけのためだけでなく、社会をより良い方向に変えるきっかけになるかもしれません。周りの仲間と力を合わせれば、そのパワーはもっと高まることでしょう。
09年から当校で実施している「migakazuba(みがかずば)プログラム」でも打ち出していることですが、自分自身を見直し、そして身近なところから社会も変えていく「Make a Difference」を実践する精神、いわば
”しなやかなリーダーシップ“を、お茶の水女子大学の学生、そして可能性にあふれた若い人々に、ぜひ身につけていただきたいと考えています。
その道筋を創るべく、私も教育者として一層、自己研鑽に努めていきたいと思っています。




コラム

次世代のリーダーを育成する
同大学では、09年から「migakazuba(みがかずば)プログラム」というユニークな試みを実施している。「みがかずば 玉もかがみも なにかせん 学びの道も かくこそ ありけれ」という校歌に由来し、心遣い、知性、しなやかさを備えた次世代のリーダーたる人材を育成することを目的としている。具体的には、女性リーダーによるシンポジウムやキャリアプランニング、就職ガイダンスなどのプログラムを実施。参加するとポイントが貯まり、オリジナルグッズがもらえる。履修した学生たちが自信をもって社会へ巣立ってほしいという思いが込められている。



←ひとつ前のページへ ↑このページのトップへ