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2011年9月号vol.410

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私の勉学時代

首都大学東京学長 原島文雄先生に聞く

「安全、健康、正義」への関心が
平和で豊かな
皆さんの未来をつくる
首都大学東京は、東京都が設置する唯一の公立大学です。世界を代表する大都市・東京に貢献し、「世界のリーダー」となる人材を育むことを目指す同大学は、自らの未来を創造するための学びに力を入れています。今回は、2009年より同大学の学長に就任され、またご自身もロボット工学、制御工学、電気工学の分野で文字通り「世界のリーダー」となられた原島先生にお話を伺いました。

■Profile
原島文雄(はらしま・ふみお)

1940年2月3日東京都生まれ。工学博士。
62年東京大学工学部電気工学科卒業後、67年同大学大学院工学系研究科電気工学専攻博士課程修了。80〜98年東京大学生産技術研究所教授(92 〜 95年研究所所長を兼務)の他、フランス科学技術庁(CNRS)主任研究員、文部省宇宙科学研究所客員教授などを務める。2000年4月東京大学名誉教授。2009年4月より首都大学東京の学長に就任。ロボット工学、制御工学、電気工学研究の第一人者として、アメリカ電気電子学会(IEEE)産業電子工学ソサイアティの会長を務めるなど、国内外を問わず第一線にて活躍。工学分野における業績を記念して「Fumio Harashima」の名が入った3賞が韓国とIEEEにて設けられている。


戦争と幼少時代

私の父(*1)は大変優れた物理学者でした。
私が生まれて間もなく、父の九州大学(当時は九州帝国大学)への転勤が決まったので、一家で福岡県鳥飼村(現福岡市)に移り住みます。
しかし、当時は第二次世界大戦末期。空襲は日々激しさを増し、私たちが住んでいた地域も焼け野原となります。戦争体験によって、この頃の私の記憶は、断片的なものとなってしまいました。父も大学で講義を続けることが困難になったため、私たちは一時、大分県玖珠郡へ疎開します。しかし終戦後は福岡へ戻り、九州大学に近く、空襲の被害がなかった箱崎(福岡市東区)に住みました。私が箱崎小学校へ入学したのは終戦の翌年です。当時はまだ国民学校と呼ばれていました。
箱崎については「なんとも荒っぽい所だったな」と記憶しています。漁師町が近くにあったせいか、やんちゃな気質の子どもが多かったですね。帰り道には、なるべく人と出会わないように道を選びながらこっそり帰っていました(笑)。家に帰ると、近くの川へ兄弟や友だちと一緒に釣りに行っていました。当時は食べるものも少なかったですから、遊びに行っていたというよりは、食料調達に行っていたという方が正しいでしょうね。

*1 原島鮮(はらしま・あきら)…1908年生まれ。理学博士。1930年東京帝国大学(現東京大学)卒業。理論物理学の権威として知られ、今 もなおその著書は物理を学ぶ多くの人々に読まれている。

父との思い出 繰り返される歴史

1949年夏、父が東京工業大学へ移ることになり、東京の池袋と目白の間、雑司が谷の辺りに引っ越しました。当時は見渡す限りの焼け野原で、池袋から新宿にある三越や伊勢丹が見えていましたね。転校先の豊島区立池袋第三小学校も、木造のバラック建てで、間に合わせの校舎でした。
生徒の数も多く、授業は午前と午後の二部に分けて行われました。半日しか授業がなかったので、それ以外の時間は外で遊んでいました。ちょうどこの頃学制改革(*2)があり、新制大学が設置されます。大学院の教育課程が博士課程までできたことを知った私は、「将来は大学院の博士課程まで進もう」と思ったものです。こうしたことを知り得たのも、大学に勤めていた父が話してくれたからでしょうね。
父は真面目で研究熱心、しかし研究以外のこととなると、まったく疎い人でした。家の中のことも母に任せきりでしたね。5人の子どもを育て上げた母の苦労は、並大抵のものではなかったでしょう。
父との思い出で、大変印象に残っていることがあります。1950年の夏の日のことで、私は当時小学4年生でした。夕方、家族で食卓を囲んでいると、父が突然、次のようなことを話し始めたのです。「私たち大人は、戦争を起こし、あらゆるものを破壊してしまった。20世紀も半ばを迎えたが、私はきっと来世紀まで生きてはいないだろう。お前たち子どもは21世紀を生きるだろうから、次の世紀は平和で豊かな社会にしてほしい」というような内容でした。
この時のことは今でもはっきりと記憶しています。そして大人になって初めて、父が私たちの世代にどのようなことを期待していたかわかるようになりました。私たちは、父の世代が期待した通り、少なくとも日本においては、戦争のない豊かな社会を築いてきました。しかし一方で、現在、地球規模で深刻な環境破壊が進んでいます。私は、今度は私の子どもに、環境破壊で傷ついた地球を残すことを謝り、次の時代にはこの環境問題を解決してもらいたいと言いました。くしくも、あの夏の日から50年が経っていました。この半世紀ごとの宿題を考えると、今度こそ美しい地球と豊かな暮らしが取り戻されることを願ってやみません。次世代を担う皆さんの活躍を、大いに期待しています。

*2 学制改革…第二次世界大戦後、連合国最高司令官総司令部(GHQ)の占領下で、アメリカ教育使節団の調査結果に基づいて行われた、大規模な学校制度の改編。義務教育を9年に、学校体系を6・3・3・4制に定めるなどした。

読書にのめり込んだ中学・高校時代

小学校を卒業後、武蔵中学校・高等学校という私立の一貫校へ進学しました。学校の成績は、教科の好き嫌いによって大きく差が出ました。苦手だったのは体育、音楽、絵画、図工で、これらはほとんど落第点(笑)。運動に関しては、スキーや水泳などが得意だったので苦手だったわけではないのですが、学校の授業は好きになれませんでしたね。その他の教科は常にトップクラスの成績でした。特に数学、理科、英語は楽に良い点を取っていたと思います。そして、好きな教科の授業は大変面白いと感じていました。特に、中学校で数学を担当されていた大坪先生の授業が、今でも印象に残っています。二進法の授業で、デジタルの概念を私たちに教えてくださったのです。コンピュータは内部ですべての数値を二進法に置きかえて処理をします。ですが当時、コンピュータは世間ではほとんど知られていませんでした。「すごいことを教える先生がいたものだ」と驚きましたね。この出来事は、間接的にではありますが、私の将来に多少の影響を与えたと思います。
この頃熱中したのは読書です。家にあった本や、学校の図書館にあった本を乱読しました。夏目漱石、推理作家として有名なアーサー・コナン・ドイルやアガサ・クリスティの本は楽しかったですね。レフ・トルストイの『アンナ・カレーニナ』や『イワンのばか』、フランソワーズ・サガンの作品や、ミハイル・ショーロホフの『静かなドン』など、新しい世界を見せてくれた作品は衝撃的で、後々まで影響を受けました。
当時、1日1冊くらいのペースで読んでいました。今でも週に3〜4冊は読んでいますよ。私にとって、読書は睡眠や食事と同じ生活の一部です。人生を豊かにしてくれる作家の存在は、本当に有り難いと思います。

有言実行 世界のリーダーに

高校3年生までは作家になりたかったのですが、自分には文才がないなとも思っていました。ワープロがなかった当時、字がきれいに書けなかったことも悩みでしたね。そこで、作家とはまったく正反対の道に進もうと決心し、理工系の電気工学を選ぶことにします。大学院に進学した後は「ロボット・メカトロニクスの分野で、世界のリーダーになろう」と思って研究に没頭しました。初めから研究の道に進もうと決めていたので、就職のことはまったく考えませんでしたね。そして、電気学会の会長や、アメリカ電気電子学会産業電子工学ソサイアティの会長などを歴任します。文字通り「世界のリーダー」と呼ばれるまでになったのですが、これも良い研究環境、そしてすばらしい人との出会いに恵まれたおかげだろうと思っています。

「安全、健康、正義」を第一に自分の中にも多様性を

海外、とりわけアメリカという国は、実に多様性のある文化と価値観を持っています。そして、そのことが、アメリカを世界のリーダーと言わしめる土台となっていると思うのです。多様な価値観を受け容れる姿勢は、これからの日本社会にも必要だと思います。先ほども申しましたが、今現在、環境破壊が深刻な問題になっていますね。しかし、私たちが諦めずに努力を続けるならば、近い将来、科学技術の進歩とその組み合わせによって、人類が滅亡するなどという最悪の事態は必ず避けられるはずです。そのためにも、私たちは、「安全、健康、正義」のための科学技術や政治、経済のことを第一に考え、多様な価値観を受け容れていく必要があると思います。これは、これからの世代を担う皆さんに、私が期待することです。今でも、若い世代の皆さんは、私たちよりもずっと「健康、安全、正義」に対して、真摯に考えてくださっていると思いますよ。
最後に、皆さんの将来のことについてお話しましょう。皆さんの中で、すでに将来の職業あるいは方向が定まっているという方は多くないと思います。ですが、将来の夢が決まっていないからといって、落ちこんだり悩んだりする必要はありません。将来のことは、大学入学後の教養課程の中で、あらゆる知識と価値観に触れながら探していけばいいと思います。人格が形成される20歳前後の時期に、たくさんの人と出会い、様々な価値観に触れて、自分の中に多様性を持つことが大切です。高校までは、こうした価値観を養うための準備期間だと思ってください。そして、今のうちから、人類が明るい未来を迎えるための、あらゆる分野の「安全、健康、正義」について関心を深めてほしいと思います。




コラム
 

高大連携室/大学での学び発見室
首都大学東京では、高大連携の一環として、高校生と大学を結びつける活動をしています。その一つが、南大沢キャンパス講堂ロビーにある高大連携室/大学での学び発見室(月曜日〜土曜日開室)。ここでは高大連携スタッフ(特任教授と大学院生)が常駐し、「大学や学部の選択で悩んでいる」「勉強の仕方を身に付けたい」など、オープンキャンパスや説明会では聞きづらいことも気軽に相談できます。大学入学後の初年次生(1年生)も利用可能です。この他にも、大学生活について語り合う「学び相談コーナー/キャリア座談会」、大学での授業を体験する「オープンクラス/オープンラボ」、大学教員による「出前授業」などの取り組みも充実しています。



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