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2011年11月号vol.412

今月のタイムス
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私の勉学時代

昭和女子大学学長 坂東眞理子先生に聞く

学生時代に
社会人になるための基礎磨きましょう
1920(大正9)年、詩人である人見圓吉により創設された昭和女子大学は、誠実で礼儀正しく、学識と教養に裏付けられた品位ある人材、地域に貢献できる人材の育成に取り組んでいます。今回は、2007年4月、昭和女子大学の学長に就任された坂東眞理子先生にお話を伺うことができました。先生の体験談を通じて、皆さんが将来の職業を見つけるためのヒントが見つかるかもしれません。

■Profile
坂東眞理子(ばんどう・まりこ)

1946年富山県生まれ。
69年東京大学卒業後、総理府(現内閣府)に入府。官房広報室、青少年対策本部配属を経て、75年婦人問題担当室専門官となる。80年ハーバード大学客員研究員を務めた後、総理府男女共同参画室長(婦人問題担当室長)となり、日本初の「婦人白書」を執筆。埼玉県副知事などを経て、98年在豪州ブリスベン日本国領事(女性初の総領事)、2001年内閣府男女共同参画局長に就任。2007年4月、昭和女子大学学長となる。
著書多数。特に2006年の自著『女性の品格』(PHP新書)は一大ブームとなり、累計300万部を超えるベストセラーとなった。メディアにも数多く出演。


女の子で「もったいない」

私は、富山県の中新川郡立山町五百石というところで生まれました。立山や剣岳などで構成される立山連峰が、町の東側にあります。実家は昔、造り酒屋でしたが、第二次世界大戦後に廃業してしまいましたので、父は農事試験場(*1)に勤めていました。
私は4人姉妹の末っ子です。私が生まれた時、母は周りから、4人目も女の子だったことを気の毒に思われたそうです。当時、特に地方では、家を継ぐのは男の子でなければならないという考えが色濃かったのですね。子どもの頃、近所の方から「菅原(坂東先生の旧姓)の眞理ちゃんは、元気で勉強もできてとても良い子なのだけれど、女の子でもったいないね」と言われたこともあります。

*1 農事試験場?農業に関する技術上の調査や試験分析、研究を行った公設の機関。第二次世
界大戦後、多くが農業試験場に改組された。

「菅原の眞理ちゃん」時代に得た経験と自信

小さい頃から本をよく読みました。幼稚園の時は、フレーベル館の『キンダーブック』という月刊の絵本を取り寄せてもらっていました。小学校高学年の時に面白いと思った本は、なんと姉が持っていた高校の歴史の教科書(笑)。小学生の頃は学校の授業に物足りなさを感じていましたので、なぜ姉の教科書は面白いのに、私の教科書はつまらないのだろうと思っていました。貸本屋さんからも本を借りていましたよ。もったいないので、すぐに読み終えてしまう漫画ではなく、なるべく字がたくさん詰まった本を借りるようにしていました。山中峯太た郎の少年冒険小説のシリーズや、モーリス・ルブランの『アルセーヌ・ルパン』シリーズ、アーサー・コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズなどが好きでしたね。歴史物も好きで、日本の歴史だけでなく、ローマのことや聖書のことを書いた作品も読んでいました。こんな私のことを、さぞ両親は心配していたことでしょう。女の子なのに本ばかり読んで、家の手伝いは嫌々やっていましたから(笑)。
中学校は立山町立雄山中学校に進学しました。当時盛んだった模擬テストで、私はしばしば富山県第1位を獲得していました。それまでは、学校で良い成績を収めても、それがどれほどの実力なのかよくわかりませんでしたので、模擬テストを通じて自分の力を知ることができたのはよかったと思います。自信がつきました。中学3年生の時には生徒会長も務めましたし、小さな町の中でのことでしたが、その名を轟かせていました(笑)。周りの人たちから「菅原の眞理ちゃん」と呼ばれて育った時代に得た経験と自信は、私の人格形成に大きく影響したと思います。

文系の進路を選択

高校は富山県立富山中部高等学校に進学しました。県内から優秀な学生が集まってくる名門校で、今までのように文句なしの一番というわけにはいかなくなりましたね。多くの生徒が東京の大学を目指して勉強しました。授業は大学受験を意識した厳しいものでしたが、個性的で味のある先生が多くて楽しかったですね。
さて、進路の話ですが、私は高校の文理選択の際に文科国立系を選びました。理系の教科があまり得意ではないな、と思うようになっていたのですね。そこで、東京大学の文学部を目指すことにしました。東大の受験科目は9教科あり、文系の教科だけでなく、理系の科目が苦手だといっても、数学や理科も勉強しなくてはなりませんでした。今思うと、この時の受験勉強で学んだことが、今の私の「教養の基礎」になっていると思います。

進路選択と後悔

大学3年生の時、自分は研究者に向いていないと気づき、就職して公務員になろうと考えました。そして、公務員になるなら、同じ文学部でも、歴史や哲学などではなく、社会学や心理学といった分野のほうが有利ではないかと考え、社会心理学を専攻することにしました。私が大学を卒業した1969年の時点では、まだ男女雇用機会均等法(*2)が施行されておらず、民間企業は女子学生をほとんど採用していませんでした。大学院に進んで研究者となるか、教員となるか、公務員となるか。当時の女子学生の進路は、とても限られていたのです。皆さんには想像がつかないことかもしれませんね。
高校時代、そして大学時代の前半で、どのような職業に就くか深く考えてこなかったことは、私にとって痛恨のミスでした。
もし、高校時代に「将来は公務員になるのだ」と意識していれば、文学部ではなく法学部に進学したと思います。そのほうが公務員の仕事をする上で有利だからです。しかし、そういったことは考えずに、「歴史が好きだから」という理由で文学部を選択してしまいました。後悔しましたね。中高生の皆さん、特に女性の皆さんには、大学卒業後にどのような職業に就きたいのかを考えて、大学の進路を決定してほしいと思います。

*2 男女雇用機会均等法?企業による募集や採用、昇進などの職場環境において、男女平等を実現するために制定された法律。1986年施行。

「婦人白書」を執筆

私は運よく総理府(2001年内閣府に統合)に就職することができました。総理府に採用されたことは、幅広い分野に携わりたいと思っていた私にとっては、とても幸運なことでした。そんな折、国際連合が1975年を「国際婦人年」とすることを宣言します。これにより、各国政府で女性問題に取り組む体制づくりが進められることとなりました。日本では、総理府の中に「婦人問題担当室」が誕生しました。婦人問題に関係する省庁から、女性の課長補佐クラスの方々が集められ、私もそこへ配属されました。そこで初めて婦人問題に取り組むこととなったのです。私は、女性の職場環境の実情などをまとめた、日本初の「婦人白書」をつくるべきだと主張し、その執筆を一人で担当することとなりました。この仕事が、私のキャリアの上で、大きな自信となりましたね。
勤め始めた頃は辛いことが多く、自分には何の能力もないのではと思った時期もあります。24歳で結婚、26歳で出産した後は、子育てとの両立に悩みました。「私が男性だったら」、「文学部ではなく法学部を卒業していれば」などと思ったことが何度もあります。ですが、執筆アシスタントを務めた「青少年白書」、一人で執筆を担当した「婦人白書」を通して、書くというスキルを強みにすることができました。そして、婦人問題に携わる中で、男女雇用機会均等法や育児休業法(*3)が次々と施行されていくのを見届けることもできました。法律は建前しか変えませんが、まずは建前を変えることで、後から追うように現実は変わっていきます。短い期間で、女性の職場環境はずいぶん様変わりしましたね。こうした変化に関わることができ、とても幸せです。私の娘たちが育児休業を取得した時も、自分の仕事を誇らしく思いました。

*3 育児休業法?育児休暇を取得しやすくし、育児を行う労働者を支援するための法律。1995年、育児介護休業法に改正。

「勉強」の本番は社会人になってから

皆さんは、「勉強」は学生時代だけのものだと、思っていないでしょうか。実は、勉強は、社会人になった後が本番なのです。私の場合も、社会人になってから「勉強」の連続でした。「青少年白書」の仕事では、上司から怒られながらも、客観的な文章を書くことに励んだからこそ、その経験を活かして「婦人白書」を書くことができたのだと思います。これらの仕事を通じて、自分は調べて書くことが好きなのだと思うようになれたのです。自分にしかできないこと、自分だからできることを持たなければならないなと思うようになりました。
どんな仕事でも、それをやり遂げるために必要なスキルを学ばなければなりません。その基礎となる勉強をするのが、学生時代なのです。学生時代に得た知識の幅が広ければ広いほど、社会人になった後、高い山となります。ですから皆さんも、今のうちに、好き嫌いせず様々な分野に興味を持ってほしいと思います。そして、その興味を、大人になってもずっと持ち続けていくことが、大切ではないでしょうか。




コラム
 

体験型学習プログラム
昭和女子大学では、学生が様々な体験をするためのプログラムが充実しています。例えば「文化講座」は、世界各地の芸術家による一流の演奏や公演を鑑賞する「文化研究講座」や、女性の心を育むことをテーマに各界の著名人を招いて催される「女性教養講座」を用意。2011年の「女性教養講座」では、宇宙飛行士の山崎直子さんや、作家で医師の海堂尊さんなどによる講演が開催、または開催予定となっています。また、学生が興味や専門知識を活かして地域に貢献する「コミュニティサービスラーニング」や、学科ごとに3泊4日の共同体験を経験し、集団生活のマナーを身につけ、自主性や責任感などを学ぶ「学寮研修」などのプログラムも用意されています。



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